楓(盛+景)



寝ていると、突然障子戸が左右に開いた。
同時に目も開けていられないような突風が部屋の中に荒れ狂い、古いこの家の襖やら柱やらが軋んで悲鳴を上げる。

盛親はそれに怯えることはなく、むしろ冷静に事を見ていた。
しばらく寺子屋で生活費を賄っていたにしろ、人の気配に気づかないほど落ちぶれてはいないはず。
障子を開けた人物の気配は、ない。

盛親は、布団の中でじっと眼をこらしながら、状況を分析する。
突風は、今だってものすごい勢いで部屋の中で渦巻いているというのに、布団は剥がれないし、この間書いて壁に飾った習字の手習いの書も、拾ってきた文机も、文箱も、蜀台も、何事も起きていないかのように微動だにしないで在る。

(・・・妖の類か・・・?)

怖くはなかったが、布団の端をギュっと握りしめ、息を潜めた。

枕元に置いておいた、刀がカタリと音を立てる。
瞬時に飛び起きて、刀を手に取り脇を締め、柄に手をかけ音のしたほうに構える。
久々の一連の動作に少しだけ自分を見直したが、旋風と煙を伴って現れた目の前の人物に、盛親はただただ目を見張るしかなかった。

(久し振りだな。)
「あ・・・。」

妖だった。
けど、とてもよく、見知った者の。
顔を見た一瞬、生きていたと思いたかった。しかし、しっかりと畳に足をつけてはいたが、奴の体は白く透けて、あちらの壁がぼんやりと見える。ああ、やっぱり・・・と、心の中で落胆した。
だって、あの時ちゃんと墓参りしたじゃないか。

「小早川・・・隆景・・・。」

そう、一時は四国の一部に領地を持っていた、中国の毛利両川の一翼であり、水軍の将。
長曾我部が毛利と同盟を組んでいたこともあって、何度か話したことがある。
小早川隆景は気に食わない奴だった。父・毛利元就そっくりで頭がものすごく切れるし、平然と人を小馬鹿にしたような発言をする。下手に反論すると、これまた上から目線で還付なきまで叩きのめされる。
けど、何度か口論しているうちに・・・なんとなくだが、認めようと思えてきたのだ。
小柄だけど、腕っ節だって悪くないし。

やがて、毛利も長曾我部も豊臣に下り、父元親とともに朝鮮へ渡っていた最中、奴は病気で死んだ。
あっけないものだ、人なんて。
帰ってきたあと、こっそり墓前に花を手向けようと一人、城を抜け出した。
途中で、あいつに花なんて似合わないなとふいに思って、持っていた花を海に投げ捨てた。
けど、何もないのも霊前に申し訳なく、墓に向かう途中にあった楓の枝を一本折って持って行って、墓にそっと置いて手を合わせた。

そんな奴は、目を細めて、生前の時のように薄く笑った。

(老けたな。)
「るせえ。」
(表面もだが・・・内面もな。)
「・・・。」

知っている。
そんなこと、自分がよく知っている。
今日だって早くに床についたのは、明日の朝早くに寺子屋を開く約束をしてしまったからだ。
寺の書物をあさって、子供たちに己の知識を教えて・・・こんな生活も悪くないなと、ぼんやり思うようになっているからだ。
監視の目をかいくぐって、弥次たちが生活費を工面してくれていると聞いた時は、心苦しくて腹を切りたく思ったけれども、今もわずかに連絡を取っている家臣等からは生きてくれと言われた。
生きて、再び長曾我部を土佐に。

そう、皆言うけれど。
そのつもりだけれど。
どのようにしたらいいのか。
どれくらい待てばいいのか。
出口が見つからない。

目線は足元の布団の皺に落ち。
気づけば、突風は止んでいた。

(刀を抜け。)

声に目を上げると、隆景(の亡霊)は刀の鞘を捨てたところだった。

「・・・どうして・・・?」

(私が腑抜けたお前に喝を入れてやろうというのだ!)

突然、隆景が斬りかかってきた。
操る人物の気配はないのに、刃はやけに生気を帯びて、少しでも触れれば切れそうだ。
突然の踏み込みに、盛親もやっと抜刀して刃を受け止める。
当たりも、音も。すべてが生きているようで。
盛親は泣きそうになった。

(構えが甘いぞ。大分鈍っているようだが!?)
「・・・っ畑仕事ならしてるっ!」
(餓鬼共相手にするのは楽しいか!)
「楽しいさっ、ソコはお前に言われる筋合いはないね!」
(お前はそれで何を得る?)
「・・・っ、うるさい!!消えろ!!」

下から振り上げてきた隆景の刀を弾き飛ばし、隆景の亡霊を真一文字に、斬った。
そして、布団の上に仁王立ちになって、見えない天に向かって声を張り上げた。

「そんなこと、言われなくても解ってる!忍を使って旧臣たちに声をかけてるし、兵力も蓄えてる!機をうかがっているだけだ!子供たちの相手は今しかできないからやっているんだ!このままでは、このままでは家臣等に申し訳がたたねえっ、そんなことわかってる!死んだ奴が・・・俺の人生に口をはさむなッ!!」






目を開いた。
夢、だったようだ。
まだ外は暗いままで、盛親は静かに溜息をついた。

「なんで、よりにもよってアイツだったんだろ?」

夢に出てくるのはあいつでも構わない。
構わないけれど、どうせ、己に喝を入れてくれるなら・・・。それは、もう叶わない願いだけれど。
親父を、母上を、信兄を、和兄を、忠兄を、出して欲しかった。
誰か、誰か一人でもいいから、そばにいて自分を叱咤してほしかったのに。
頬が濡れているが、乾くことはなかった。次から次へと涙があふれてくる。

「あ〜・・・また、っあいつに、怒られるなぁ・・・」

頑張って笑顔を作ろうと思っても、すぐにそれはくしゃりと歪んでしまう。
たまらず必死に枕に頬を埋めて泣いた。
慕ってくれている家臣らには言えないけれど。
誰か、俺を自由にしてください。
誰でもいい。
誰でもいいから!



どれくらい泣いただろうか。
腫れたまぶたを開けて、盛親は天井をじっと眺めていた。
もう、悲しいのか悔しいのかわからない感情の中に、はっきりしていたものがある。
帰るところは長曾我部しかない、ことだ。
今や国替えなぞという制度もあって自分で領地を決められない世の中。
土佐がなくても武勲があれば、どうにかなるかもしれない・・・いや、どうにかなる。

盛親の心の何かが開けた。

「長曾我部だけじゃなく、ついでに毛利にも天下をわけてやるかぁ。」

盛親は天井のしみを睨みつけて笑った。



その頃桑名弥次兵衛は、豊臣秀頼が動いたことを知らせるため、盛親のもとへ小路を転がるように走っていた。






再録の嵐。
戦雲の夢とbsrのコラボ的な。
あ、すいませ・・・石投げな、あ、痛っ!