無果実(信隆+忠+盛)



ここは土佐。
この土佐に毛利の長男である隆元がやってきたのは、毛利からの書状を嫡男自らがもってきたからであり、決して人質とか生々しい類ではない。
のに、どこか隆元は機嫌が悪い。

須崎から岡豊にやってきた親忠は、己の髪をくりくりと指先で弄びながら、縁側で眼下に流れる川を眺めている隆元の背中を眺めている。
その隣で小さな鳥のカラクリをいじっている盛親も、隆元の背中をチラリと見るが、すぐに目線は手元に戻った。

「ねえねえ、盛ちゃん。」
「話かけんな。」
「ねえねえ、なんでお兄ちゃんは怒ってるのかな?」
「知るか。」

盛親は嘘をついた。
隆元の機嫌が悪い理由を、憶測ではあるが知っていた。
だが、それをこのすぐ上の兄に言ったところで何になろう。

(ああもう、クソ!)

盛親は小さく舌打ちをして、カラクリを畳に置く。
すっくと立ち上がると、できるだけ足音を小さくして、苛立ちが隆元に悟られないよう近づき、萌葱の羽織に声をかけた。

「隆元サン。」
「なんでしょう。」
「今日はどうするんすか?安芸にお帰りに?それとも泊まり?」
「・・・そう、ですね。伊予のほうに小早川の城があるので。そちらへ泊まる予定です。」
「そっすか。」
「ええ。」
「隆元サン。」
「はい。」
「そろそろ信兄、来ると思いますよ。」
「そうですか。」

馬の尻尾のような髪を揺らして小さく頭を垂れる様子を見て、盛親は眉間に深い皺を作った。
座敷の奥へと戻って、またカラクリを手に取る。
薄暗い座敷の中では手元が見えづらい。
この間元親が持ってきた、ガラス細工のような板を填め込んだ眼鏡とかいう物の存在を思い出して、早速右の眼下に填めてみた。
また、手探りで鉤型をした小さな工具を手にとって、ゼンマイ巻きの差込口あたりをいじる。
いじりながら、数刻前の出来事を盛親は思い返していた。
眉間の皺は、まだほぐれない。



数刻前。
盛親は隆元を迎えに漁村の港へやってきた。
本来ならば、長兄の信親も一緒に来るはずだったのに父の頼み事を片付けると言って、結局出迎えは自分一人になった。
あちらの嫡男は、長兄が居ないと知ると肩を落としたように見えて、盛親は柄にもなく彼を慰めるように岡豊までの道中の様々な名勝や町を案内してみせた。

2日ほどかかったのち城へ帰ってくると、見慣れた長身が見えた。
先に信親は帰っていたのだ。
何やら侍女数人と話していて、時折笑顔を覗かせている。
声を掛けようとしたが、ふと隆元が自分を追い越してスタスタと歩き出してしまったためその後ろに慌ててついていき、城内へ通した。
隆元の機嫌はそのあたりからおかしい。

(人はカラクリじゃないからな・・・わかんねえ。)

盛親は手の中のカラクリごしに隆元の背中を見て、再び小さく溜息をついた。

「隆元!」

噂をしていれば何とやら。長兄が颯爽と現れた。
この長兄。自分では気づいていないようだが、颯爽という言葉がよく似合う。あらゆる意味で溜息ものだ。
長兄は安芸の客人に近づいていく。

「ごめんごめん。ちょっと親父の頼まれ事があって、吉良のほうに行ってたんだ。」
「そうですか。」

盛親は黙って、カラクリに顔を近づけた。
ずっと隣にいるすぐ上の兄も空気を察知してか、書棚の本を読む振りをして聞き耳を立てているようだった。

「父上からの書状は元親殿にお渡し致しました。あとでご覧ください。」
「う、うん・・・。」
「それではあとは・・・そうだ。こちらに来る途中に立ち寄った村の一つに落石があったようです。木材が足りないとおっしゃっていました後でどうか盛親殿にお話を伺ってください。」

ああ、隆元さん。
今のアンタものすごい早口だけど。
時に言葉より態度のほうが雄弁になる時があると、聡明なアンタなら分かってるはずなのに。
今はそれも忘れてしまうほど、怒ってるのか?

ふいに、隣から丸められた紙がポイと投げられる。
隣を見れば、すぐ上の兄がこちらを見て肩を竦めたところだった。
紙を開いてみれば、流麗な字で“二人は喧嘩中?”と記してある。
喧嘩・・・なのか?いやでもこの状態を見れば喧嘩に見えるか。
盛親は、首を傾げて肩を竦み返す。

そうしていると、隆元が突然足を進めた。

「では、私はこれにて。」
「ちょ、ちょっと待って!!」
「・・・なんでしょう。用事は済ませましたので、帰りたいのですが。」
「なんで怒ってるの?」
「私が?怒ってなどいません。」
「怒ってるよ!」

信親の緊迫した声が城に響くのは珍しい。
もう、この空気に耐えられない・・・。
隣はどうしているかと横目を降れば、至っていつもの調子でぱらりぱらりと文書をめくって眺めている。
こんな時だけ余裕こいて、年上面しやがって・・・

「離してください。」
「出迎えに行けなかったことを怒ってるの?」
「別にそんな事は気にしていません。」
「じゃあ・・・なんで?」
「・・・なんで、と、申されましても・・・。」
「俺も迎えに行こうと思ったんだけど・・・ああ、いいや。言い訳はしないよ。」
「・・・・・・わ、私は・・・別に貴殿を咎めたくこうしているわけでは・・・ただ・・・・・・・・・私以外の方々にも、貴殿は笑顔を向けるということを・・・思い知った・・・というわけで・・・・・・当たり前のことなのですが・・・」

その言葉を一番近くで聞いた信親は、ぱちぱちと瞬きすること数回。

「隆元。」
「はい。」
「それって、やきもち?」

隣から息を飲む音が聞こえた。

「なっ!!・・・そ、そのようなこと!!わ、私はこれにて失礼仕る!」
「あぎゃっ!」

信親を横切ろうとしたとき、偶々だろうとは思うが隆元は信親の足を思い切り踏んづけてしまったようで、長兄は猫を潰したような声を上げた。
そそくさと城を後にする安芸の嫡男は、あっという間に城山を下りて、あっという間に馬に乗って、あっという間に遠ざかっていった。

その姿が見えなくなった頃、隣の親忠が盛大に濃い溜息をついて畳に崩れた。

「信ちゃ〜ん、“あぎゃっ!”じゃないでしょうよう!」
「ご、ごめん・・・」
「なんですぐ追いかけないのっ!」

「なんで追いかけなきゃいけないの?」

と、素で尋ねた信ちゃんは、子犬のような目をした純真そのものでした。By親忠(はあと


その後、土佐から安芸へ懺悔の書状が送られ続けたことは、隆元の返事の土佐へ届くまで続いたという。






以前の拍手のお礼小話でした。
信親がヘタレ。