木立(信隆)



信親は一度立ち止まり、よいしょと背中の隆元を背負い直した。

「・・・すみません。」
「いいっていいって。」
「あの、本当に・・・私なら大丈夫ですよ?このような下りの山道で人を背負って歩くというのは・・・」
「いいって!そんな足で帰らせるわけにはいかないよ!」

というと隆元は、信親の肩越しに落ち葉ばかりの道を申し訳なさそうに見つめ、口を噤んだのである。


“安芸の紅葉はさぞ素晴らしいのだろう”と、信親が隆元に告げたのは確か半年も前の、まだ山の木々が萌え出した頃だった。
秋も真っ直中になった今、隆元は口約束のそれをちゃんと覚えていて、政が一段落した時に紅葉狩りに誘ってくれたのだ。
もちろん信親は断る理由もなく、喜んで首を縦に振り、供を付けずに早速支度をして出かけた。

「宮島に行くのもいいかと思ったのですが、土地の者しか知らない紅葉を見るのもよいかと思いました。」

城を出てしばらく歩き、山と山のすき間に出来た名もない沢沿いを歩くこと半刻。
動物も通らないだろうと思う薮をかき分けて、すぐにそこは出てきた。
隆元の言葉に返す言葉を失うほどの、素晴らしい景観がそこに広がっていた。

名もない小さな滝がそこにあった。
滝壷に落ちた水は、分散するようにいくつもの小さな沢となって、辺りに広がっている。
紅葉と沢に映し出された赤。そしてところどころに積もっている、朽ちかけの赤茶の対比は素晴らしい。
滝によってさらに冷えた山の空間に風が一度吹けば、朱の葉も一斉に舞い上がる。
そのまま静かに地に落ちる葉もあれば、水面に落ちて船のように水面を流れてゆく葉もあり、滝に絡め取られるようにして滝壺へ落ち、水の中で二度目の舞いを披露する葉もあり。

何よりひっそりとしていてとても気持ちがいい。
信親はあたりを見渡すと、思いっきり心地いい空気を吸い込んだ。

「すごいね・・・。どうしてこんなとこ知ってたの?」
「以前敵方の斥候を捕縛する際にここを通りかかったのですよ、う、わ!」

突然隆元がふらついて声をあげた。
同時にガサガサガサと不穏な音がやけに大きく響いて、信親が手を伸ばす余裕もなく、地面に隆元が尻餅をついた。

「隆元!!」

慌てて駆け寄ってみると、彼は何事もなかったように、少しだけ恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて見上げてきたからまずはよかった。

「あ、信親殿。す、すみません、情けない姿をお見せしてしまいました。」
「どうしたの?」
「いえ・・・ただ足下を見ていなかっただけですよ。木の根につまづいて・・・。」
「えっ大丈夫?足とかひねってない?」
「ええ、大丈っ夫・・・」

立ち上がろうとして足に力を込めた隆元の顔が苦痛に歪んだのを見て、今度は信親が苦笑い。

「じゃ、ないみたいだね。」


そうして、隆元はされるがままに信親の背に背負われているのである。
痛めた足首には濡れた若草色の布巾が巻き付けられている。
隆元は痛めた足首よりも、この状況にどうしていいのか分からなくて仕方がなかった。
信親の足ががさがさと落ち葉を踏む度、信親の紫の着物が視界に移る度、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、でも、背負ってくれている良心も拒否しきれず、肩のどの辺に手を置いたらいいのかとか重くはないだろうかとか必要以上に事を考え、結局、馬で来ればよかった、誰か共を連れてくればよかったとか、今更後悔するばかりである。

「こうして人をおんぶしたのって、盛親以来かなあ。」
「盛親殿が・・・何かされたのですか?」
「海で何かに刺されたとかで。わんわん泣いてたのを、おぶって城に戻ったっけな。でも今から4,5年前の話なんだよ?それから倒れた和を連れて帰ったし、忠も迷子になったのを見つけておんぶしたり。」
「私も、まだ小さかった元春や隆景を背負いましたね。片手で数えられる程度ですが。」

(そういえば・・・)

多分、自分は慣れてないのだ。
背負われることより、背負われて感じる体温に。
こうして信親に背負われて、どこに手を置いたらいいのかわからないし、着物越しの体温がやけに煩いのはきっとそのせい。

小さい頃の母の背は覚えている。どのくらいのぬくもりかまでは覚えていないが、確かにそれは温かった。
それとは間逆に、父の体温は知らない。
背負ってもらったことは未だかつてない。だけど、支えて貰ったことは多々。今だって、何かあればすぐに父に支えて貰っている。そこには体温なんてなかった。
父の体は小柄で、自身もいつの間にか父の身長を超してしまった今も、その背中が小さいなどと思ったことはない。
だが、たった一度だけ。
あの一度だけ、元就の背中がとても小さく見えたことがあった。

母が亡くなり、一連の弔い行事が終わったある日の、西日を背にして縁側に座っていた父。
無言で落日を見ていた父の背中は、兵を駒と呼び、自らも輪刀を振るって地を血で染めあげる将とはとうてい思えないほど、とてもとても小さかった。

「信親殿は、元親殿におぶってもらったことはありますか?」
「うん。あるよ〜。てか親父ってすごい背高いからさ。おんぶっていうよりは肩車だったかな。」
「そうですか・・・・・・私は、ありません。」
「・・・。」
「あの父の背中に乗るのは、容易なことではありませんからね。しかし背負うのはそれ以上に難しい。でも・・・私も、少しでも父上の何かを一つでも背負うことができればと、少しだけ考えます。」

そう、今は無理だけど。
あれ、そういえばなんでこんな話をしているんだろう。

「そうだねえ・・・・・・じゃあ今はそのために、顔を上げて紅葉を楽しもうか?」
「そうですね。そのうち、信親殿も背負えるようになりたいものです。」
「それは無理なんじゃあ・・・」

そんな戯言を告げていると、はらりと信親の頭に紅葉が1枚。
本人は気付かないようだったから、隆元はそっとその落葉に指を伸ばし、手に取って目を細めた。


己の中の取れない錘(おもり)は、時に何より重くなり、木の葉のように軽くもなる。
あんなに違和感を感じた体温は、既に気にならなくなっていた。






隆元をおんぶさせたかったのです。