予感(現代信隆)



隆元から会社の新年会に出席してくれないかという連絡が来た。


“毎年この時期に、作家さんたち数名をご招待して行っているんです。社員は強制参加ですが、先生は欠席もできます。・・・私が言うのもなんですが、あまりいい会ではないので。先生に出欠の判断はお任せしますね。”

全く持って珍しい。
いつもなら穏やかに且つ威圧的に執筆や出席を促してくるのに、判断は任せるというのはどうしたものか。
〆切前にもこうあってほしいなあと信親はぼんやり考えたが、隆元がそんな風に言う新年会とはどんなものなのか興味を持った。(実は、嘆かわしいことに無意識のうちに急かされることに慣れてしまって不安になった所もある。)
そういえば、パーティーなんてものには受賞祝賀パーティー以来参加していない。

「行ってみようかなあ。そういうの久しぶりだし。」


電話の向こう側で息を飲む声が聞こえたような気がしたが、その後は新年会の細かな連絡といつもの〆切の話になって、信親は苦笑いしつつ受話器を置いた。




二つ返事で言葉を返すものではないと、信親は身をもって知った。
指定された新年会会場にふらふらやってくると、受付を行っていた社員たち全員がこちらを向いて固まっている。
会場は間違っていないみたいだし、時間だって頑張って守った。一応服だってまともなものを着てきたと思うし(あくまで自分判断)、挨拶だってちゃんとした・・・はず。
なのに、招待状を渡した女の子はガッチガチに固まっていて、目も合わせてくれない。
案内された席につくと、今度は視線の矢が絶え間なく刺さってくる始末。

(こういうのをなんていうんだっけな・・・・・・・・・檻の中の動物・・・?いや、もっとひどい・・・ああ、最近は単語がでてこないや・・・)


それから、定刻通りに新年会は始まった。
頭から花が飛んでいる(ように見える)社長の挨拶にはじまり、ゲスト紹介で信親も軽く挨拶をし、やけに鋭い目つきの専務の乾杯で会場は歓談の時間となった。

各々が挨拶をするためグラスを持ち、会場内を歩きはじめる。
信親といえば、乾杯直後に社長と専務から挨拶を受けて、挨拶すべきと考えた相手がいなくなってしまい、何もすることがなくなった。
はっきりいってつまらない。
これだったら、家でぼーっとしているほうが有意義に時間を潰せただろうに。

仕方なくグラスにビールを注いでちびちび飲みながら人間観察をしていると、人が二つの集団に分かれていることに気が付いた。
一番ステージに近い中央のテーブルあたりでは、社長が若い社員をはべらして笑っていた。
その取り巻きたちは男女ともに皆顔立ちがよく、社長が彼らヒモのように見えて仕方がない。
そしてステージの上手前のほうでは、陶とかいう専務が数人の黒スーツの男性社員と静かに話をしながら料理に酒に舌を潤している。

(これは・・・派閥ってやつかな・・・)

一般の会社の内部事情はよく分からないが、隆元があまりいい会ではないと言った意味がわかった気がした。

そういえば隆元はどこにいるんだろう?
さっきから視界にチラチラ入ることはあっても、彼はずっとその場に留まらず、慌ただしく会場内と外を行き来している。かと思えば、どこからかビール瓶を持ってきて上司たちに酌をして回りはじめる。小走りする度に首から下げているネームプレートが揺れる様が、見ていてとても気持ちよかった。

「おい、貴様。」
「わ!?・・・あ・・・びっくりしたー・・・。」

突然誰もいないはずの隣から話しかけられて、信親は背を揺らした。
隣には最初、自分と同じようなゲストの女性作家が座っていた。だが彼女はすぐに嬉々とした様子で社長の隣に駆け寄っていったので、誰もいないと思っていたのだが。
かわりにいたのは、身長が信親の肩ほどの小柄な男で、男は山のように盛ったフルーツを黙々と食べていて、信親に持っていたグラスをずいと差し出してみせる。

「注げ。」
「あ、えっと、ビールでいいっすか?」
「我は酒を飲まぬ。烏龍茶でよい。」
「はあ・・・。」

信親は言われるがまま、テーブルに置いてあった烏龍茶を取った。しかし態度がとんでもなく高慢だ。この会社の中の重役なのだろうか、それとも自分と同じゲストなのだろうか?
烏龍茶をトクトク注ぎながら少し首を傾げて顔を見ようとしても、男は小さいうえに俯いているためよく見えない。が、少し外に跳ねた髪の茶色と、前髪の分け目から少しだけ見えた目鼻立ちはどこかで見たことがあるような気がした。

「あの、自分のテーブルに戻らないんすか?」
「我の席に陶が座った。奴が使ったものを我が使うなど有り得ぬ。これを食べたら帰るつもりだ。」
「ふうん・・・俺も帰ろうかな。つまんないし。」
「フン。」
「あ、でも隆元に挨拶したいな。」
「・・・おい。」
「?はい。」
「貴様、隆元をどう思う。」
「ええと、そうっすね・・・最初はすごくつまらない人だと思ったけど。」
「・・・。」
「でも、最近は楽しいかもしれない。結構口を挟んでくるんですよ。仕事熱心っていうのかな。」
「・・・。」
「・・・隆元、随分と気に入られたようだな。」

男が顔を上げた。
能面のような白い顔に息を飲むのも束の間、男はやはり高慢な科白を吐くと同時にじろりと睨んできた。
その視線は信親をすり抜け、背後を射している。
視線の先を追うように振り向けば、そこにはビール瓶を持って凍り付いた表情をした隆元がいた。

「あ、隆元。俺挨拶しようと思ってたんだよ。」
「・・・あ・・・。」
「隆元?」
「・・・あ、はぁ・・・あの・・・先生、今年もよろしくお願いいたします・・・」

隆元と信親の距離はそんなに離れていない。
ただ、隆元が歩みよってくる足どりはとても重そうで、やっとグラスにビールを注いでくれる手が小さく震えている。

「どうしたの?」
「・・・いえ、何も・・・」

明らかに様子がおかしい隆元を、信親は首を捻って眺める。
そして、隣に座って黙々とフルーツを食べ続けている男をもう一度見る。
パチパチと、灰色の瞳が瞬きすること数回。

信親は突然立ち上がり、ガシと力強く隆元の腕を引っ張った。

「じゃ、俺帰りますー。」
「はっ!?あの、ちょっ、先生手を離してください!」
「いやいや、ちょっと手伝って欲しいことがあるからさあ。一緒に来てよ。」
「あの!先生!私はまだ仕事がっ!」
「いいからいいから。俺と付き合うのも仕事でしょ〜?」
「変な科白を使わないでください!」



隆元はずっと信親の袖を引っ張り言葉でも抗議をして抵抗するも、信親は全くもってビクともしない。
それどころか信親はただ無言のままスタスタと歩いていくばかりで、瞳はまっすぐ前を向いていた。
受付を行っている同僚が何事かとこちらを向いている。彼らに助けを求めようかとも一瞬考えたが、あまり効果がないようにも思えて言葉を飲んでしまった。

(・・・私は、一体、どこへ・・・。)

会場の外へ出た所で、隆元は小さく溜息をつくと抵抗を諦め、腕を引っ張られたまま信親と共にタクシーに乗ってその場を後にしたのである。




やってきたのは信親宅の最寄り駅近くの個人経営カフェ。
黙ったままの隆元に替わって頼んだコーヒーは、エスプレッソとアメリカン。
そこにハチミツ付きのスコーンと、バターをたっぷり使ったクロワッサンを2つずつつければ、長話もできるだろうと。
自分も案外気を使えるんじゃないかと一人関心しながらエスプレッソを手にすると、隆元が申し訳なさそうに話を切り出した。

「先生の隣に座っていたのは・・・父、なんです。私の。」

流石の信親も、コーヒーカップを落としそうになった。
言われてみれば顔立ちが似ていたけれども!
あの男の顔を思い出しながら、冷たい口調を上乗せして多めに見積もったところでせいぜい30代ぐらいにしか見えないのに!

「あれでも50過ぎてるんですよ。あり得ないでしょう。今日は子会社の代表として出席したみたいです。」

うん、あり得ない。
世間でいう50代とは、美味しい物を頬張った結果のでっぷりとした腹だったり、頭には白髪が混ざっていたり或いは1本もなかったり、顔には年季の入った皺とか、どこかしらに半世紀を生きてきた証のようなものが姿形に現れているはずだが。
あの人は年相応のところを探しだそうとしても片鱗すら伺えなかった。

あの若さは全世界の女性たちが嫉妬するだろうな、と信親は考えたけれども、口に出すまでには及ばなかった。
それより、目の前に座る隆元のこんな様子を初めてみたからそっちのほうが気になって仕方がない。

目の前の隆元といえば、背を丸くして、目先は常に下を向いている。
灰色のスーツがまるで彼の心の色そのものを現しているようだ。信親は自分のエスプレッソの苦みを噛みしめた。

「お父さん、苦手なの?」
「苦手・・・というか・・・」
「嫌い?」
「そんな、嫌いだなんて!」
「じゃあ、何?」
「ああ、でも、苦手という言葉が一番近いかもしれないな。でも・・・結局私が折れてしまうし、父にしてみれば反抗期なのだと、思います・・・。」

あまり口に出すことではないのですが、と隆元は話し出した。


そもそも、生まれた時から父・元就はずっと仏頂面で、笑ったところなど見たことがない。
滅多に口を開くことはないが、口を開けば冷たい言葉ばかりでその一つ一つが威圧的で。
それこそ、学校で絵の賞をとっても褒められることはなかったし、“こんなもので賞取るのだったらもっと頭を使う勉学に励め”と咎められた。
だから、隆元の中で父上の存在というのは、偉大というより恐怖の象徴のようなもので、見守るというより監視、説教というより修正だった。
それが当たり前だったのだから、己を時期社長に・・・という父の考えにも何ら疑問を感じずにいたし、それが普通だと思っていた。
けれど、下の弟たちのほうが明らかに己よりも出来がいいと、ある日気付いてしまったのだ。
だから、父以外から社会を勉強して自身に足りないところを補おうと思った。
それで大学卒業後の進路を父と話した際、違う会社に行きたいといったら大喧嘩になってしまった。
父の怒鳴り声はそれが始めというわけではなかったが、隆元自身が父に対して声を荒げたのが初めてで。
でも、言わなければいけない気がして。
このままでは社長になっても何もいいことがない、父上が私をどう思っているのか、それまで言葉で告げられたことはなかったわけですし、私だって父上に自己を主張したかった。
結局家出をして、大学も経済を専攻してしまって、こうなっていますが・・・。


隆元の言葉が途切れた。
その瞳は泣きそうに歪んでいたけれども、潤んだそれはこぼれ落ちることはなく。
信親は煙草に火を付けた。

「で、隆元は今楽しいの?」
「・・・誰かさんのおかげで、胃痛が絶えません。」
「・・・スミマセン。」
「でも、とても充実していますよ。」
「じゃあそれでいいんじゃん?」
「ええ、でも・・・さっき久しぶりに父に会って、愕然としたのです。今のこの充実した時もいつか終わりが来るのかと・・・。これでいいと思えるのも今だけで、結局は父の思うがままになる気がして。」
「ふぅん・・・。」
「私の全てが父の会社のためになれば、そう思ってはいるのですが、父の幸せは私の幸せではない・・・!」
「・・・あのさー。」
「・・・何でしょう・・・?」
「幸せの形には興味ないけど、ちょっともったないよねー、お父さん。」
「何が、ですか?」
「隆元の描く絵が、綺麗だってわかんないんだもんね。」

隆元は顔を上げてちらりと横を見る。
目の前には、いつもの先生がいつものようにヘラヘラと笑ってこちらを見ていた。
灰色の瞳に映っていたのは、自分のグレーのスーツ。

(・・・ああ・・・。)

宴会場では父を意識してそっちのほうは全く分からなかったし、今までずっと俯いていたからわからなかったけど。

(理解してくれているかどうかは別として・・・話せる相手は、ここに・・・)

「・・・先生。」
「何?」
「先生。その格好は何ですか?」
「え?ああ。あり合わせで来ちゃったんだけど。」
「上下白スーツに黒いシャツはどうやったらありあわせになるんですか・・・。どこからどうみても夜の仕事の人みたいですよ!」
「え、これっておかしな服装なの!?」
「・・・・・・今から服を買いに行って全身コーディネートしてやりたいくらいおかしいです・・・」
「ああ、だから受付の人とか、みんなこっち見てたんだー。」
「先生の免疫がない人達もいることを分かってください!」


そうだ、その調子。そうじゃなきゃあ張り合いがないよ。
信親は一人心の中で笑う。
やっと最近ちゃんと上を向いて歩けるようになってきたじゃないか。
それが今下を向かれてしまってはこっちだって困る。
いつだって望みは高く高く。上にあるんだから!

店内のハト時計が20時を告げる。
新年会終了の時間だ。
隆元はこのあと会場に戻って後始末を行うという。
後始末が終わったら二人で飲み直そうか。
それも悪くないな。
信親は、やっぱり一人笑いながら冷めたエスプレッソを飲み干した。






お父さん登場の巻