戦友の条件(小説家信親×担当隆元)



1本のコラム執筆をしていたある日。真面目に机に向かっていた信親が「あ。」と声をあげた。
大体こういう時の「あ。」はろくでもないことが起こる前兆である場合が多く、隆元は今度は何だと言わんばかりに、じとりと信親の背中を見つめた。
そして、一応尋ねてみる。

「どうかされましたか?」
「ん〜、万年筆のインクがきれた・・・。ストックもないや、買いに行かなきゃ。あ、そういえば洗剤もなかった気がする。はみがき粉も。」
「食料も尽きていますが。」
「消しゴムとスケッチブックもないな。」
「・・・。」

このままインクが切れなかったら、この人はのたれ死んでいたかもしれないとか、もうちょっと早くに気づけるだろうとか、さまざまな事を思う度に、隆元は胃痛がこみあげてくるが何とかそれを抑え込んで考える。
となると、買い出しか・・・。

「万年筆が動かないとなれば、このままでは執筆に支障が出ます。今日は買い出しに行きましょう。先生は買う物をリストアップしていてください。私は家に戻って、車を取ってきます。」
「あ、もう買う物は頭の中にあるし、いつでも出られるよ。」
「・・・。では、まずはジャージから着替えてください。」

隆元は立ち上がって再びため息をついた。



信親の買い物時間は長い。
他に類を見ない究極な出不精故に、無くなってしまった日常の消耗品が溜まりに溜まって、買い物に行かざるを得ない状況になってから初めて重い腰を上げる。
更には、家の物は自分で買わなければ気が済まず、物によっては特定の店でしか買わない物もあり、店から店への移動が長距離になったりもする。
付き合わされる側としては、相当の忍耐と覚悟が必要な所だが、時々思ってもいない良質な物と出会うからたちが悪い。
前に一緒に買い物に行った時に見つけたスウェーデン製のシャープペンシルなどは、デザインも書き味もよく、以降ずっと使っている。

(悪くはないんだよなあ・・・。)

・・・やっぱりたちが悪い。



隆元は信親を連れて電車に乗り自宅へ戻った。
部屋の中はお世辞にも綺麗とは言えない状況で、自然に信親が家に入って来そうになったところを慌てて制止して玄関で待ってもらい、リビングに置いたままの車のキーを持って外へ出た。
信親は、“隆元の車、初めてだ!”とはしゃいでいる。隆元は、自分の車を運転するのも久しぶりなのに、自分の車に人を乗せるのは本当に久しぶりで、少々緊張していた。

「先生、ちゃんとシートベルトを締めてくださいね。」
「隆元〜、このぬいぐるみって隆元が好きなの?」
「いいえ、弟がゲームセンターで取ってきて、そのまま車に置いたものです。では、出発しますよ。」
「いえ〜い。」

隆元はアクセルを踏んだ。
免許を取ったのはこの会社に入ってから。車を買ったのは、何かと移動に便利そうだからだった。
だが、いざ買ってみると。
この車に乗せたのは社長と、弟の元春ぐらいだ。あとは自分の移動は電車で事足りたし、会社の用事で使う時は会社の車を使っていたので、あまり使わないという現状だった。
ミラーの下に置いておいた芳香剤も、いつの間にか切れている。

(この買い物で芳香剤を買ってしまおうか・・・。でも、あまり乗らないのだから必要がないかもしれないな・・・。)

父から言えば、この車も無駄だといわれてしまうのだろうか・・・。
いけない、そんなことを考える時ではない。
まず向かうは、万年筆のインクだ。
特に信親が贔屓している文房具屋は隣町。
今回の買い物も、素敵な出会いがあることを願って!
隆元はハンドルを掴み直し、アクセルを踏んだ。





「あの・・・先生。これ、本当にどうにかならないんですか!?」

大型ショッピングモールの入り口で、隆元はたまらず声を上げた。

最初に行ったのは隣町の文房具屋、それからコーヒー豆と紅茶の葉を買うため車で50分かかる専門店へ行き、その後インポート食品を買いに行く途中で少々休憩、そしてショッピングモールで、大量に消耗品を買い込めば見事に夕方だ。
隆元は、今にもはち切れんばかりの買い物袋を両手に4袋も下げながら、腕にも1袋抱え込んでいる。
その横にいる信親は、両手にティッシュペーパーとトイレットペーパーの箱を6つも抱え、端から見たらどこかの雑伎団の一員のようである。
籠城するつもりなのか。先生の日常と、次の買い物がいつになるかを考えれば、籠城のようなものだけれど。
だがしかし、信親は何も言わずにこにこと笑っているだけ。
隆元は自分のこめかみに青筋が浮かんだような気がしたが、なんとか抑えて、よろめきながら車へ荷物を運んだ。

車の中には、今日の買い物の戦利品が所狭しと溢れていた。
トランクには尋常でない量のコーヒー豆と紅茶の葉があったが、そこに無理矢理ティッシュとトイレットペーパーをぎゅうぎゅうに詰めこみ、隆元の荷物は後部座席の隅のほうにそっと置く。
ドアを開けて、運転席に座ろうとしたら、突然信親が挙手した。

「あ、はい!隆元ッ、ハイッ!!」

元気だな・・・。
反面隆元は力無く信親を指さす。

「はい・・・先生。」
「俺、運転してみてもいい?」
「・・・先生って、免許持ってたんでしたっけ?」
「うん。」
「最近運転した経験は?」
「2年くらい前に地元で!」
「・・・ダメです。」
「なんで?」
「2年もブランクがあったら事故を起こす可能性が高いからですよ。」
「大丈夫だよ、隆元を見てたら運転したくなったんだよっ!あとは家に帰るだけだしねえねえいいでしょ!?」

私を見ていたから・・・?
何だろう。私の運転がどこか気に入らなかったと?それならそれで、言ってくれればいいのに。
ここまで、しないのに。

「・・・判りました。私は少し疲れたので、助手席で休ませてもらうとしましょう。」

そう言い放ち、信親に車のキーを渡す。
先生はとても嬉しそうにして、早速運転席に座った。
それに倣って助手席へ座る。

車が発進したが、隆元は自分の膝のあたりを見ていた。
信親はしばらくは緊張していたようだが、すぐに運転に慣れて、車線変更も十字路でハンドルを切るのも難なくこなしている。

(先生は、頭がいいからな・・・)

どうしてこんな、買い物に付き合ったりしているんだろう。
そもそも、一緒に仕事をするだけの付き合いではなかったか。こんなの仕事ではない。もっとしっかりすべきは、打ち合わせだったり、原稿の催促だったり、営業だったり・・・その他にも、先生の仕事とは全く別の仕事だってある。会社で作っているフリーペーパーの原稿作成や、細々とした事務作業だって。だから、それぞれの領域はしっかりと守るべきで、むやみやたらと踏み入るものではないのではないか。
でも、会社では“長曾我部先生については毛利に聞け”とまで言われている。
嬉しいような、悲しいような。
信親は少しスピードを上げた。
そろそろ、このスピードに振り落とされそうだ・・・。

「窓、開けていい?」
「・・・ええ。」

横目で信親を見る。
黒い髪が風にそよいで、憎らしいほどに爽やかだ。瞳の灰色も、少し明るいくらいの天気の下で見ると、固まった暗い雲のそれではなく、水墨画の薄墨のように澄んでいる。
だから、風に乗ってきた匂いはその瞳が薫ったのかと思った。

「あれ?」

隆元は顔を上げた。
ショッピングモールに入る前は、車の芳香剤は空っぽだったはずだ。
なのに、今は一番上まで液が入っている。
自分が買った覚えはない。

「先生、あの・・・」
「え?」
「これは、一体?」

芳香剤を指さすと、信親は表情一つ変えずに言った。

「さっきティッシュの所を見てたら同じのが売ってたから、ついでにと思ってさ〜。あっそれから、最初の文房具屋で、スケッチブックを10冊買ったから。隆元の好きに使ってくれて良いよ。」
「ええ!?では、後でこの分のお金を、」
「いいのいいの、俺が勝手に買ったんだし。ていうか、今凄く帰りたいんだよね。文章が浮かんで浮かんでしょうがない。」


いくら仕事上の関係であろうとしても、どこからともなく土足で踏み込んできては、太刀打ちできないじゃないか。
しかも、本当は、私自身、それを望んでいるのだから・・・

(ひねくれているのは、私のほうなのかな・・・)

今になって、くたくたの体に限界が来たようだ。もの凄く眠い。
シートに体を預けて、この辺りから先生の家まではどれぐらいかかるか、流れる風景を見ながらぼんやり考える。

「・・・先生。」
「ん?」
「少し、眠っていいですか?」
「いいよ〜。」

ああ、なんていうことだ・・・
仕事中なのに仕事を放り投げて、私は眠ろうとしている・・・
けれど、とても心地良い・・・


しばらくして、隆元は窓のほうに顔を向けたまま動かなくなった。
信親は横目でそれを確認すると、再び視線を前に戻した。

「・・・もうちょっと、肩の力を抜けばいいのにねえ?俺はどこにも逃げないのに。」

つい、苦笑い。
信親は突然ハンドルを左へ切った。
戦友が少しでも多く眠れるよう、少しでも気が楽になるよう、逃避行をしに―。







某様へお誕生日プレゼントでございます。