鳶(信親×隆元)



豊前の黒田が攻め入ってくるので援軍を送ってほしいと、盟軍・毛利から珍しい書状が届いた時、長曾我部は丁度豊後の大友と領海争いをしていた。
大友相手に引けない元親は幾分か怪しんだが、信親に分隊を預け、毛利が陣を敷いている下関に早速進軍させたのである。



信親が着岸すると、美しい毛利の隊列が出迎えてくれた。憎いほどに統率が取れている。それらを率いている将が一人進み出てきて、信親に微笑みかけてきた。
毛利ではあまり見ない、温かいと感じる笑顔だ。

「土佐よりよくぞ参られた。我らこの地にて長曾我部殿と合流すること、元就様より下知を賜った。私は毛利隆元と申す。以後宜しく頼む。」
「ああ、こちらこそ。俺は長曾我部信親、宜しく頼むよ。」

ああ、名前は聞いたことがある。毛利元就の嫡男という男か。
小さく頭を垂れた切れ長の目と口元には、未だ匂うような笑みを含んでいる。
やはり毛利らしくない。

「それでは、来て早々馳走もできず申し訳御座らぬが、こちらにて現在の状況と布陣をご説明しましょう。」

隆元がそう言うが早いか、一糸乱れぬ隊列が2つに割れ、その間を通って参に一文字の旗が翻る陣営の中へ通された。勧められるままに胡床に腰掛け、卓の上に広げられた地図を眺める。
着岸した浜は小さな湾のような場所で、入江もあった。浜の向こうには急斜面の森があり、斜面を登りきると台地が広がっている。
副将らしき男が説明を始めた。

「現在は、黒田の小隊が時々様子を伺う程度にやってきます。その都度、船で潰しています。追い返すことはしていません。」
「うん。」

隆元が立ち上がり、采配で地図を指しながら副将より説明を受け取る。

「黒田の本隊が着くのは、明けて2日朝。そのように伝令がありました。主戦場は浜ではなく沖です。まずこちらの丘の砲撃で敵の鑑殲滅を図ります。そしてその他の船は長曾我部殿と毛利の小早で追い打ちをかけ、陸に上がってきた敵兵は、弓と馬にて討ち取る次第。浜には槍を200、その奥の、こちらの斜面一体には300の弓兵をいくつかに分けて伏せています。また台地には騎兵100騎の用意をしています。」
「うん。」

信親は、説明する隆元の横顔をじっと見つめていた。
隆元は笑顔がなくなっていた。説明をする横顔も口調も必死で、どこか切羽詰まって見える。

「そこで長曾我部軍には、この台地とこの森に砲台を、こちらの深い入江に、多くの小早を潜ませていただきたい。」
「はい、質問。」

信親は素直に手をあげた。

「?、何か?」
「この布陣は、誰が考えたの?」

隆元の隣に居た、副将が一瞬だけ目を丸くしてみせた。
隆元はじっと信親を見つめ、やがて静かに言った。

「私が、考えました。」

じっと隆元を見た。
隆元は真一文字に唇を結び、少しもぶれずに見つめ返してくる。

「・・・・・・判った。我らもすぐに伏兵と砲台の設置に着手しましょう。特に砲台は今すぐに設営します。火薬の手配などのことは、福留に知らせてください。」

信親は陣営の外で待機させていた自軍の兵らに、手をあげて合図を送った。彼らはすぐに方々に散って各々準備に取りかかり始め、信親もまた、辺りを点検するのに席を立ったのである。






隆元は浜をぼんやり眺めながら、数日前の父との会話を思い出した。

「父上、今、何と?」

隆元は珍しく父の言葉を聞き返した。
桂から、黒田が中国に進軍する動きを見せているという知らせを受け、それを元就に伝えた。
暫く思案していた元就が、静かに口からすべらせた言葉は、まぎれもない策だった。
・・・そう、策。策だ。

「貴様、我の言葉を聞き漏らすか。」
「も、申し訳ございませんっ」
「我は出ぬ。黒田ごときに兵を割く必要もあるまい。長曾我部と同盟を結んでおる。あれを使え。」
「はっ。」
「総大将は隆元、貴様とする。長曾我部には、元就は尼子を攻め入っているとでも伝えおけ。」
「・・・はっ。」



「・・・。」

眼前に広がる白い砂浜は何も言わない。
ため息が出た。
いつかは、父に代わって己が指揮を取り全策を実行するだ身だが、どうにも気が重い。
冷酷になれない自分がいる。
いっそ、父のように兵等を駒のように扱うことができれば、戦場でも楽だろうに。
だが、兵等はこの陣営に着陣してからというもの必死にやってくれている。己を勝たせようとしてくれているのだ。そんな姿を見れば、簡単に斬って捨てることなどできなかった。だから、そのために必死に布陣を考えた。
長曾我部軍もまた、よく来てくれた。
あれほど瀬戸内の領海を争って刃を交え、奇策を用いて殲滅しようとしたというのに、よく信じて来てくれたものだ。
だが、元就の策もある。信親に告げた毛利兵の数は、実際よりも多かった。
長曾我部信親殿・・・。
己と同じ嫡男という立場だが、どこか違う。

(考えても、仕方がないか。)

ふう、とまたため息。
そろそろ村上水軍が兵糧を運び込んでくる時間。隆元は激励の言葉をかけようと、着岸予定の浜のほうへ歩き出した。
すると、どこからともなく叫び声が聞こえてきた。敵襲かと思い、櫓を見上げるがどうもそちらの方向からの声ではない。蹄の音もする。
それが、後ろから近づいてくるものだと知って振り向いた時には、体が宙に浮いていた。
目の前に馬の足があった。足の動きにあわせて馬の筋肉が動いていて、隆元はやっと自分は馬の首に引っかかっている状態なのだとわかった。
首を上げるとどこか面白そうな信親の顔があって、その後ろには必死に追いつこうと走っている副将の姿が遠くに見えた。

「長曾我部殿―!み、皆の者!何をしている!若殿を取り返さぬか!」
「大丈夫だって!ちゃんとすぐに返すからー!」
「若殿っ!?」
「若殿!!」





「不意打ちを受けるとは・・・。矢張り私は、まだまだですね。」

抜刀しなかったのは殺気がなかったからだが、迂闊にも程がある。隆元は自身を笑った。
信親にさらわれて、やってきたのは陣営の奥の台地だった。
台地には、まだ騎馬兵はいない。
馬から下ろされ、眼下を眺める。未だ朝露に濡れている草木が袴を濡らした。
信親もまた馬から降り、隣に立って海を眺める。
陣営がとても小さく見える。長曾我部軍と毛利軍の一部がひと塊りになっている場所がある。きっと我ら二人の行方について揉めているのだろう。大事に至らなければいいが。

「辺りを見て回っていたら、ここの眺めがよくてね。」
「この台地は殆どが岩です。よって北と南は海に面しており断崖絶壁、裏側は石の採掘場があり、兵を潜ませてあります。」
「へえ。用意周到だね。」
「そこまでせねば、将とはいえません。」
「ふうん。ま、一番槍は長曾我部に譲ってくれるようだし。ここは協力してやるよ。」
「毛利は一人の戦功より勝つことが第一。武勲はいくらでも差し上げましょう。勿論此度の援軍の礼も致します。それよりも、私に何か?申すことがあるならば、少々強引ではありませんか?」

隣に立つ信親は黙って海を眺めている。
空の高いところに、鳶が飛んでいる。時々鳴き声がここにも届く。

「・・・ここの海は波が穏やかだなぁ。土佐のほうが、もっと波が高い。」
「・・・。」
「一度、毛利の誰かに聞いてみたかった事があるんだけど。」
「何でしょうか?」
「窮屈じゃない?」

鳶の鳴き声がした。

「否。」

目を丸くした信親の表情だけでは、何をどこまで考えているかは分からなかった。だが、即答した自分が、隆元は誇らしかった。
生まれてからずっと、毛利しか知らない。確かに他の家に生まれていればと考えたことは何度もあるが、考えても仕方のない事だった。

「ええ、全く。そのようには感じません。」

また、今度は自分に言い聞かせるように。
すると、信親は空を仰いで清々しく笑った。瞳が薄墨のような灰色に煌めいていて、隆元は素直に綺麗だと思った。

「そうかそうか、隆元は、ここに陣を敷いたのはいつ?」
「六日程前です。もともと古い陣跡があり、それを利用したまで。」
「眠ったのは?」
「・・・失礼、言っている意味が、よくわかりません。」
「だから、最近眠ったのは?」
「・・・・・・二日ほど、前ですが。」
「じゃあ飯は?」
「朝に、焼いた魚を少々・・・。」

そうだ、元就に命じられた日から、中々眠れない日が続いている。食欲もない。それよりも、考えなければいけないことが山ほどあった。布陣はこれで正しいか、もっと上手くやれるのではないか、これで勝てるのか・・・。
でも、だから、この長曾我部信親と何が関係しているのだろうか。
信親はどこか嬉しそうに、馬の首に引っかけてあった嚢から徳利と杯を取りだした。
そして、眼下が見える台地の淵にどかりと腰をおろし、徳利を傾けて杯に液体を並々と注いだ。

「飲もう!」
「・・・え?・・・あの、どうしてでしょう?」
「俺はあんたが気に入った。」

高い空。青い海。浜からは波の音。
静かだった。
静かに、信親の言葉は、隆元の心の真ん中を貫いていた。

「毛利はあんまり好きじゃなかったが、隆元は人を生かす戦をする。あの布陣は間違っちゃいない。俺は隆元に協力したい。そのために、まずは総大将が休もう!」

今までそんなに力強く言われたことはない。
隆元はうろたえていた。
だが、信親はそんな隆元のことなど知らず、隆元の手を引っ張って無理矢理自分の隣に座らせた。
拍子に杯から零れた液体が隆元の手を濡らした。

「ああ!ごめんっでもこれ、土佐から持ってきた酒なんだ。美味いよ。」
「あ・・・。」

眼下では、村上水軍が到着し、兵糧を陸にあげていた。今のところ、自分が居ないことで揉めてはいないようだった。

ゆっくりと、信親の顔を伺ってみる。
先ほどと何ら変わらない笑顔で杯をこちらに寄こしていた。
これを受け取ったならば、何かが変わるのではないだろうか…。
真新しくも未知の何かに触れる時のような、恐怖に似ている。
酒が空をゆく雲を写しながらゆらゆらと揺れている。
…この分だと酒には毒も入っていなそうだ。
隆元は、恐る恐る手を伸ばした。

「では…少しだけ。」
「おお、そうこなくっちゃね!」
「父上に、酒は飲みすぎるなと言われておりますので、少ししか飲めませんが。」
「いいよいいよ!ちょっとはこの眺めを楽しもう。」

今だけ、少しだけ。
何にも縛られない束の間の休息を、隆元は楽しむことにした。


(ああ、父上。)
(私はこの人に策を使えそうにありません)
(ですが・・・)
(私は、それでもいいと思ってしまっているのです。)






某様へのお誕生日プレゼントとして捧げさせていただきました。