微笑の理由(親忠)




最近須崎の領海に、不審船が頻繁に来るようになった。
船は沖を旋回移動し何もせずに去って行くだけ。但しその頻度は二日に一度と、何らかの意図があるのは確実だった。
様子を聞き付けて浜にやってきた親忠は、沖に浮かぶ船を一目見て肩を竦めた。

「あら〜、あれは偵察に間違いないわね〜。」
「それでは・・・?」
「近いうちに侵攻してくるかも。海からだと見せかけて、陸から攻めてくる可能性もあるわね…。よし、岡豊と讃岐に文を書きます。早馬の準備を。」
「はっ!」
「ああそれから、あたしの馬も準備しておいてね。阿波に行くわ。」
「はっ!・・・はあぁ!?孫次郎様、阿波のどちらへ!?」
「勝瑞よ。」
「勝瑞!?この間、誰にも言わずに讃岐に出かけたことをお忘れか!?」
「忘れてないわよ。大丈夫です。あたしはみんなを信じてるんだから。」

慌てふためく臣に片目を閉じて答えてやり、親忠はふらふらと居館へ歩き出した。



実は今、土佐は攻められればまずい状況にある。
元親と信親が大坂に渡っていて不在。岡豊を守っているのは弟の盛親とそれから数人の重鎮と一領具足たち。
親和は讃岐で瀬戸内の対岸を睨んでいるが、如何せん半年前の風邪がまだ治らないらしい。
ではこの機に仕掛けてくる相手は誰か?毛利や大友とは盟約を結んでいる。豊臣は蹴散らしたばかり。織田は直々に手を下してくるにはまだ早い。が、最近阿波の三好が織田と手を組んだと聞いた・・・
親忠は一人も供をつけず、身形も女物のそれではなく目が覚めるような白い小袖に薫るような藍の袴に改め、豊かな長髪も久しぶりに肩のあたりまで切って、すっかり立派な青年姿となって、阿波の勝瑞へやってきた。

讃岐に近いこの町は想像以上に活気に満ちていた。
町の賑わいは、手っ取り早くその地の治政者の力量を計ることができる格好の材料。この地を治めるのは三好一門の十河存保。噂には武芸に秀でる剛胆者だと聞いたが、文治の手腕も中々のようだ。
親忠は城の南へ足を運んでみた。
そこには吉野川がある。
東へ進めば海に出るが、この川を辿って海へ出ることはできそうだ。川には大きな船は見えないが、真新しい小早数艘が水面に揺れていた。
また、川沿いの鍛冶屋らしき家の裏には大量の藁と蒔が置いてある。近々大量に何かを作る予定らしい。周りの田畑も妙だった。まだ収穫には早い時期なのに綺麗に稲穂が刈り取られている。親忠は一人小さく口笛を吹いた。

(これは当たりね・・・)

そのまま知らぬ顔で、裏門のあたりからぐるりと城の外堀沿いを歩いてみる。
城周辺はひっそりとしており、まるで町の喧騒が全て遮断されたかようだ。それから、誰かに見張られているような気がしたのは只の気の所為ではないだろう。
丁度一周回ったしそろそろ帰ろうかと思って角を曲がったところで親忠はしまったと思った。
裏門の前で、頭髪が白く小柄な老年の男が、親忠のほうを向いて立っていたのである。

「・・・。」
「・・・。」

男は無言だったが、落ち窪んだ瞼の奥から見える眼光は嫌に鋭い。
親忠は内心では唾を呑み込み、落ち着きを払いながら男を涼やかに見つめ返す。
やがて男は音もなく裏門のくぐり戸から城内へ消えていった。
くぐり戸は開いたまま。
きっとこれは罠だ。
だけど。

(虎穴に入らずんば・・・ってやつね。)

親忠は意を決してそっと敵城に足を踏み入れた。

すると案の定、現れた家臣たち(待ちかまえていたのだろう)に取り囲まれ、さっきとは別の男…己より少し年上くらいに見える、精悍な顔立ちをしている男が前に出てきて、穏やかな顔で親忠に問答をしはじめた。

「貴殿は何者か。」
「ああ、ちょっと。大陸で手にれた変わった品物を売っている商人です。」
「ほう。して、この勝瑞には何をしに参った?」
「もちろん、十河様に私の品物をご覧頂こうかと。」
「そうか。しかしだな、貴殿がこの勝瑞の街の外れで馬から降り、刀を外す所を見た者がいるのだ。故に、貴殿は商人を名乗る侍だと言われても、何ら仕方がないとは思わぬか?」
「ええ、そうですね。」
「では、暫し縄目にあっても致し方あるまい?」
「はい。」



そうして親忠は、城のはずれにある獄に閉じ込められてしまった。


Aへ続く




前のサイトからの再録です。
津野親忠くん、阿波に忍び込むの巻き。