微笑の理由A(親忠)




「あ〜あ。」

土佐の七雄が一である己が縄目にあうとは。
ごろりと堅い土の上に寝転がる。
獄の例に漏れず、この獄もまた居心地が悪い。
灯はひとつとして無く、壁は土に差した板に土を盛っただけの簡素なもので、ひび割れた土の隙間から冷たい風が漏れ、じわじわと体力を削る。天井も薄い木板を渡しただけで隙間が酷い。食べ物は出るには出るが、水と残飯のようなものが1日に1度出るのみ。何よりこの空間のにおいだ。
血膿、吐寫物、排泄物・・・人から出る考えうる限りの悪臭が染み込んでいて、一体ここで何が行われたのだろうと考えると少々憂鬱になった。

しかし男のいうことには一理ある。己の身を証明するものは何一つとしてない。
そんな己を斬らず捕え置くのは最たる判断だ。不審者を捕らえた者は不審者の所在をどうとでも作ることができる。やろうと思えば土佐に難癖をつけて攻め入ることだってできるのだ。だが、親忠もみすみす捕えられているわけではない。
格子の向こうには門番は1人。それから牢全体の見張りが1人。どちらも自分と同じくらいの背丈で、自分以上に素晴らしい筋肉を持っているが、アレ一人くらいなら素手でも倒せる。
だが、まだ機ではない。
親忠は盛親宛ての書状には以下のように認めた。

“盛ちゃんへ
最近須崎に不審船が頻繁に来るの!もしかしたら阿波の三好さんが攻めてくるかもしれません。土佐近辺を警戒してください。須崎の大筒は整備、用意させてあります。私はちょっと阿波に偵察に行ってきます。
ああ、それからこのことは和ちゃんにも知らせます。
ヘマをする気はないけど今日より十日便りがなかったら、私の武器を忍に持たせて勝瑞まで走らせるよう、和ちゃんに伝えます。土佐よりも讃岐からのほうが何かといいでしょ?
勝手を失礼。でもちゃんと戻ってくるし、お咎めも甘んじて受けます。心配ご無用。 津野孫次郎親忠”

天井のすき間から見える星空は丁度今で10回目。
完全にこの行動は己の独断で行ったことで、きっと帰ったらこっぴどく怒られるだろう。
己の首と体が離れるよりも帰る希望のほうが強いから、どれだけの事があっても耐えることはできる。
大体こういうのは慣れているのだ。
小さくてよく覚えていないが、人質に出されたり養子に出されたり、戦以外で体を張ることは己の中で特に重大なことでもなかった。それからすぐに怒られることも。
ごろりと寝返りを打って、太木で作られた獄の格子をぼんやりと眺める。

(こういう役目ばっかりだね、私って。)
(でもそんな現実、私、背負いたくないなあ・・・)
(・・・・・・みんな、元気かなあ・・・)

ふと、天井から水滴が落ちてきた。
右腕に落ちたそれに鼻を寄せてみると、微かに潮の香り。
瞬時に味方の忍だと悟った親忠は、番人に気付かれないように壁際に身を寄せて耳を峙てる。

“孫次郎様、香五様の命により讃岐より参りました。ご無事であらせられるか?”
“ええ。すぐにここを脱出したいんだけど。”
“今すぐお助けします。脱出なさったら通りを右へ真っ直ぐ走ってください。裏門から出たら、丑の方角へ走った長屋の辻に馬を繋いでおりまする。それで讃岐までお逃げください・・・では、壁を破壊します。少し離れてください。”




すぐに壁から離れて袖で耳を塞ぐこと数秒。
勝瑞の城の小さな一画が激震と爆発に襲われた。
格子の向こうにいた番人は爆風で吹き飛ばされ、背中を強く打ったようで壁にもたれたまま気絶した。牢全体の見張りが血を吐くように声を振り絞って叫んでいるのを聞きながら、親忠はまだ燻っている壁の穴から猫のように体をくぐらせ意気揚々と外に出た。

「て、敵襲!敵襲ッ!!捕虜が逃げた!」
「あ〜も〜!また和ちゃんったら火薬の量間違えたわね!」

といいつつも親忠の顔はどこか笑顔。
久しぶりの外の空気は清清しく、胸いっぱいにその空気を吸い込みたかったがそんな暇もないようだ。
騒ぎを聞きつけた十河の臣下達がそれぞれ手に獲物を持ってやってきた。
いずれもしっかりと具足を身につけているから、己が逃げると睨んでいたらしい。

「御首級、頂戴仕る!」
「いいわよっ、あたし今丁度体を動かしたい所だったの!」

叫ぶが早いか、見方の忍が投げよこした巨大な獲物を受け取り、背中に担ぐようにして構えた。

勝瑞の家臣等は皆親忠の獲物を見て息を飲む。
巨大な鉤(かぎ)。
鉤は、釣れた魚のエラや下顎に引っかけて船へ寄せたり甲板へ引っ張り上げる機能を持つ立派な釣り具だ。
それが七尺はあるだろうか、槍のような柄の先に禍々しく湾曲した鉤の部分の先端が妖しく光っていた。
親忠はなんとなくこの釣り具が気に入っていて、戦場でも使いたくて親和に作ってもらってからずっと手にしている武器。戦場では突き刺したり、湾曲部分で敵を叩き潰したり引き寄せたり、足を払ったりと、なかなか役に立っている。
何よりその大きさに見合わず殺傷能力が低いため、自分にはぴったりだと思っていた。
親忠は通りを走り出した。

「・・・逃がすな。」
「また捕まえられるものなら、捕まえてごらんなさい!」

いつの間にか目の前にいたあの老家臣が低くしゃがれた声で呟くと、次々と通りを埋め尽くすように家臣等が襲いかかってきた。
親忠は一旦足を止め、目の前で刀を振り上げた敵の目前で突然に腰を落とした。
そのまま敵の足のすき間を縫うように鉤の湾曲部分を通し、己のほうへ引っ張って足を払う。即座に身を起こし、尻餅をついている数人の腹へ、えいっと小さく声を上げながら鉤の峰を打ち付けて気絶させた。
畳み掛けるようにしっかり陣形を作って攻めてくる槍兵には、迫る槍の穂先を片膝の体勢のまま交わし、兵の腕に鉤の峰を叩きこんで槍を地面へ落下させる。
歩兵も槍兵もいなくなり視界が開けたところで、ぐっとつま先に力をこめてまた走り出した。
小路から次々と現れる敵の肩や腕、足に鉤の峰を叩き込みながら走っていると、数日前に通った道が見えた。
そこで言われたとおり丑の方角へ曲がると。

「ちょっとちょっと!用意周到すぎない!?」

ご丁寧に三段構えで待ち構えていた弓兵がこちらに鏃をつがえていた。
慌てて後方へ目線を流すと当然の如く追撃がやってくる。

(挟撃か!)

弓兵長が声をあげる。
親忠は仕方がないと自分に言い聞かせるように小さく舌打ちをして、鉤を腰のあたりに逆手で持ち力を溜めるように体を低くした。
2回、深く呼吸を整える。

「っせーの!!」

大きく声をあげ力いっぱいに大地を踏みしめ、鉤を弓兵めがけて真一文字に大きく振った。
すると小規模ながら衝撃波が生まれて、一気に弓兵達を巻き上げてしまったのである。

「う、うわあああ!」
「堪えろ!陣形を立て直せ!」
「ごめんねー!」

陣形の崩れた弓兵に向かって小さく手を合わせ、前を向く。数日前くぐった裏門が見えてきた。
あそこをくぐれば・・・と思った矢先、小路から一人の人物が出てきた。
あの、親忠に問答した男だった。男は門を背にして静かに笑って佇んでいる。見たところ、獲物は持っていない。
親忠はつい立ち止まってしまうと、男は一歩、親忠に近づいて話しかけてきた。

「・・・貴方は・・・。」
「貴殿、風体に似合わず剛胆な獲物を操るのだな。恐れ入った。」
「それはどうも。ありがとうございます。」
「某の名は十河存保。」

やっぱり。
親忠は小さく笑った。

「貴殿の名をお伺いしたい。」
「もう大体分かってるんでしょう?」
「いや、某は貴殿の口から聞きたいのだ。」
「・・・・・・・・・津野孫次郎親忠。」
「土佐七雄の津野殿が、ここへ何の御用か?」
「いえね、勝瑞ってどんな所かと訪ねて来ただけです。」
「ほう?」
「十河さんのような才ある人物が治める地はどんな所か・・・素敵な場所ね。こんな素敵な地政を敷いている十河さんはきっと、土佐とも正々堂々と戦ってくれるなあと思ったわ。」
「成程。」

十河は何度か小さく頷きながら、満天の星空を仰いだ。

「津野殿、貴殿はこの乱世を正々堂々と戦うことは難しいとは思わぬか?・・・知略謀略を用いずとも戦うは、余程力量があるか、凡愚にすぎぬとは思わぬか?」
「知謀を巡らさずとも、土佐は迎え撃つ準備は出来ています。もちろん攻め入る準備もね。」

ニコリと親忠が笑いかけると、十河は目を丸くして、やがて大きな口を開けて笑った。

「はっはっは!そうか、土佐殿は前者であったな!」
「ええ、もちろんです。」
「相分かった。通られよ。しかし、貴殿のこの行動もまた知略の種となること、肝に命じられよ。」
「じゃあこれでおあいこね。」
「ああ。土佐までご油断召されるな。土佐殿の首を狙うは我が三好だけではないぞ。」
「あははっ、ご心配ありがとうございます。」




親忠は、周りを警戒しながら十河から距離を取るようにして走り去った。
それからすぐに馬を見つけ出し、その足で讃岐を目指す。
追っ手はいない。
讃岐に入る手前でなんとか落ち着くと、空に半月が浮かんでいたことにやっと気がついた。
それにしても襟足が寒い。ああ、そういえば髪を切ったんだっけ。
長い髪が月の光でキラキラ光るのが好きだったんだけどな・・・
次、もし十河が攻めてくるならば、髪が長く伸びた頃であってほしいものだ・・・。




来光が射す前に親和の居城である本台山城になんとか辿り着くと、そこには大坂から帰還してきた元親と信親がいて、とりあえず色々と報告を受けていた元親に一発殴られた。

「忠。俺ァてめぇが何しようが知ったこっちゃねえが、てめぇのせいで他の野郎共に何かあったらどうしてたんだ?」
「何も言えません。浅薄な行動、申し訳ございませんでした。」
「・・・フン。」

深々と元親に頭を下げる親忠の顔は笑っていた。己の身を案じての拳。嬉しい痛みだと感じながら頬をさすっていると、信親が問うた。

「で?十河はどうだった?」
「う〜ん、好敵手ってとこかしらね。きっとパパの好きな人だと思うわ。」

親忠はにっこりと笑って答えた。
その笑みは、いい敵を見つけた鬼の笑みだった。









前のサイトからの再録です。
うちの親忠は銀髪・長い髪。瞳は紫色で、女装が好きなオネエですが、そうでなければ普通の好青年です。
空気も読めますが、あえて読まないところもあります。
身長は大体183センチぐらいかなぁ・・・。
そんで、4兄弟の中で一番のパワータイプで大食い。だけど細い。吉川元春くんが大のお気に入りです。

※7尺=約210センチ