結界(信隆&和)




隆元は同盟国である土佐に使者としてやってきた。

土佐の長曾我部の居城・岡豊に着いてすぐに元親へ謁見、元就からの書状を渡し、それから安芸からの献上品も渡した。
それからしばし、土佐の雄との談笑を楽しんでいた。

「いっつも悪ぃな。お前も苦労してんだろ?あの親父によぅ。」
「いえ。元就様は安芸の絶対的な存在。その力は十分仕えるに値します。」

“仕える。”
隆元は、己の口から出た言葉であるというのに、少しばかり違和感を抱いたが、そのようなことは微塵も表情に出さず、元親に微笑みかけた。
その元親の脇には、信親が控えていて、にこにこと嬉しそうにこちらを向いて微笑んでいたものだから、隆元もつい微笑み返してしまった。

この、土佐の鬼とその嫡男が並んだ絵。
眩しさすら覚えるその光景は、立派に一国を担う者とその次代の絵になっていて、己と上座にある土佐の血の間に、何か不思議な境界がある気がしてならなかった。
そして、信親の座る位置は既に若殿としてその場に落ち付いていて、自分自身を元就の“家臣”と評した自分に自嘲の笑いを漏らしそうになったけれど、隆元はそれでも静かに微笑んでいるしかできなかった。
信親が声をかける。

「隆元。ここから少し馬を走らせるんだけど、隼人の神社に行ってみないか。今、あそこからの景色が見頃なんだ。」
「それは・・・。是非拝見したいものです。」



それから、隆元は信親とともに馬を駆り(供の一人もつけずに駆けたのは久しぶりで、少し楽しかった)、土佐は岡豊周辺を案内して巡った。
岡豊のあたりを散策するのはこれに始まったことではないが、いつ来ても何を見ても面白い。人々もとても人懐こく、一度浜辺に行った時に鰹の刺身を頂戴した時の美味さといったら、頬が落ちそうな程であったのを覚えている。
二人は、岡豊の城の前。下馬して、国分川の橋を城のほうへ向かいながらゆっくりと歩いていた。

「今度安芸に参られた時は、是非私も案内して差し上げましょう。」
「うん、そうだね。楽しみにしてるよ。吉田は岡豊とは比べられないほど大きいからなあ。」
「ええ。父上が城を拡大して、今は城下を整備している所です。風情が少し違ってきましたよ。」

隆元は一人俯いた。
ああ、どうしてこうなのだろう。
自分自身の発言は、まるで嫡男というより一家臣だ。毛利の次代を担えるのは己しかいないのに、雄大な言葉を発することすらできない。
父の背中が巨大すぎるからなのではない。きっと、己の力量が足りないからなのだ。
その点、信親殿はどうだ。
元親殿の信頼を一身に受け、自分自身と同じく若殿と呼ばれてはいるけれども、中身を伴った若殿である。

「そうだ、隆元。」
「はい。」
「土佐から帰るとき、ちょっと香川に寄ってやってよ。親和が挨拶したいってさ。」
「は、はあ・・・。」

返事すらはっきりと言えぬとは。
隆元は、信親に気付かれぬように小さくため息をついた。





それから隆元は2日程留まって、土佐を発った。
四万十の川を時折眺めつつ、切り立った山々の昇り下りを繰り返し、ようやく讃岐の平野が出てくると、いつも心が安らぐ。

“親和が挨拶したいってさ”

といった信親の言葉を守り、隆元は早速本台山城に向かった。



「ああ、すみません。今少し、カラクリの整備を行っていたもので。」
「お邪魔でしたか?」
「いいえ。むしろ僕が呼んだのですから。隆元殿が讃岐に来てくださったのです、香川・・・いえ、讃岐は盛大に歓戴します。」

香川氏の居城である本台山城へ着いてみると、親和は居館にはおらず、城内のカラクリ整備の場所にいたらしい。
隆元の前に姿を現した親和は、少し変わった様相をしていた。厚着ではなく、身体の線にぴったりと合う着物を着、その袖は矢張り腕の線に合うようにぎりぎりまで絞ってあり、手には皮手袋をはめていた。袴も極力広がりを抑えたもので、その手には鍛冶に使うような工具が握られている。
いつも咳き込んでいる病弱な親和しか見ていなかった隆元は、線は細いが精捍ささえ匂わすその姿に少しだけ驚いたのだが、親和は上座に座るといつものように小さく咳き込んでみせた。

「土佐から帰路の途中で、随分とお疲れでしょう。」
「いえ、私にはお気遣い無用です。」
「・・・隆元殿?」
「はい?」
「どこかご加減が悪いのですか?」
「え?私が、ですか?」
「お元気がないように見えましたので。」

実は親和は、事前に土佐の兄から書状を貰っていた。
安芸からの使者として毛利の嫡男が来たが、どこか元気がないので、親和が挨拶したいということにして、話を聞いてやってほしいと。
そんな書状を貰った親和は少しばかり呆れた。
自分の口で聞けばいいのに。隆元殿と仲がいいのは兄上ではないか。
それに、あの兄の分からないことが己に分かるとでもいうのか。一体何を考えている、と。
けれど毛利の使者として隆元が寄るからには、蔑ろにはできない。それに親和は、隆元のことが人間的に好きであった。
だから、一目で元気がないと分かる程の隆元の様子を見た途端、兄の書状のことなど親和の頭の中から吹っ飛んでいた。

「薬なら、僕のものを差し上げますよ。」
「いえ、本当に私は大丈夫なのですよ、お気遣い無用です。」
「・・・そうですか?ならば出立まで、少し話をしましょうか。」
「はい。」
「隆元殿。」
「はい?」
「そちらへ参ってもいいですか?」
「え?ええ。」

すると、親和は上座から下がり、隆元の傍に座って口元を綻ばせてみせた。

「僕はこちらのほうが話しやすいので。ご無礼お許しください。」

ふと隆元は、親和の後ろに土佐で見た岡豊の上座の光景が見えたような気がした。
げほげほと親和が咳き込み、つい背中に手を回してやろうと腕を出したらそれを制された。
そして、少しばかり振り向いて、親和は誰もいない上座を見た。
長い右の前髪から覗く瞳は、上座を睨んでいるような気配がする。

「僕は長曾我部の家臣として、この讃岐を預かっている身。僕にも家臣がいますから、いつもは上座に座っています。けれど居心地が悪くて仕方がありません。」
「親和殿・・・。」
「それに、毛利の嫡男の貴方の前では・・・何というかその、父上に怒られてしまいそうですが、あそこに居てはいけないような気がして。」

そして、親和は白い顔を綻ばせた。
ああ、土佐で見たあの光景に繋がりそうな・・・。
今なら言えるかもしれない。隆元は視線を泳がせ、息をひそめるようにして口を開いた。

「・・・親和殿・・・。聞いて、くれますか?」
「?なんでしょう。」
「土佐で私が見た光景の話です。2日前、岡豊で見た元親殿と信親殿が並んでいた姿。それは立派でした。輝いて見えました。信親殿は土佐では既に元親殿に変わって家督を継いでもいいような働きぶり。それなのに、私といえば・・・。父上の背中を追うばかりで、むしろ家臣です。父上がいなければ何もできない。しかし私の立場は私にしかない。父上と並び立つことができるのは私しかいないのに、信親殿のようになれる日は・・・一生来ないのではないかと・・・。」

隆元は、言葉を声に出して紡ぎながら己の愚かしさを実感した。
信親に憧れているのだ。
羨望は手が届かないからこそのそれであるというのに。
この四国で何度ため息をついたことか。
いっそ、喉の奥で固まり、肺ごと潰れてしまえばいいのに。

すると、ずっと黙っていた親和が突然笑い出した。
親和の笑い声は、か細くはあったがそれでもあたりに響く程の大きさはあって、滅多に主の笑い声を聞かない家臣達が何事かと寄って来たほどだ。
ひとしきり笑った親和は、げほげほと咳き込んで隆元の二の腕辺りを掴み込んでやや前のめりになった。
大丈夫ですかと声をかけると、背中を震わせながらゆっくりと身体をあげ、長い前髪から覗いた紫の瞳と目があってどきりとした。

「隆元殿・・・それは、貴方が考えるべきことではありませんよ。」
「え?」
「まず、貴方と兄上は違うじゃないですか。」
「・・・そう、ですが・・・。」
「同じなのは、嫡男という立場だけだ。」
「・・・。」

隆元が、一瞬悲しそうな顔をしたのを親和は見逃さなかった。

「家風の違いもあります。父上はあのような人だから、よく隣に人が並び立つ。でも、元就殿はどうです。己の身一つで扇動し、誰も傍に立たない。立てない。それを好む方でしょう。」
「・・・。」
「でも貴方は、隣に立てなくとも、唯一元就殿の轍を踏むことを許されている方だ。そして、貴方は自ら家臣達と目線をあわせてくれる。貴方は立派な、若殿なのですよ。それに・・・」

そこで、親和は身を起こしてきちんと座りなおし、真っすぐに隆元を見つめた。

「隆元殿が土佐で見た光景というのは、僕も分かります。」


生まれたら兄がいた。
自分と兄は少し違っているのは、ずうっと小さい頃から気付いていた。
それは身体の精強さの違いではなく、性格の違いでもない。
己の下に生まれた弟たちには何も感じない、兄だけに感じるのだ。
兄には、不思議な境界があるのだ。兄に近づく時はいつも鳥居を潜る前のような気持ちになる。兄は生きているのに、生きている場所が違う。違う空気を吸っている。
その気持ちが、家督を継ぐ者とその家臣の違いであると気付き、諦めに似た感覚を抱いたのは一体いつだったか。

「僕は永遠に、父上とも兄上とも並び立てない。けれど、隆元殿。貴方はそれが出来るのですよ。」

そして、親和はにっこりと笑った。
目の前の隆元は驚いたように目を見開いて動かず、親和はそっと微笑みながら心の中で盛大にため息をついた。

(本当に兄上は何を考えているのでしょう。やっぱり僕が分かるわけがなかった。)

「そうか・・・では・・・私はもっとしっかりしなくては、いけませんね。」

何となく納得がいったのか、隆元は最初に見た頃よりも大分表情がほぐれていた。それだけでもこの安芸の嫡男は讃岐に来た意味があったかと、親和は安堵しつつ近くにあった着物を羽織った。

「では、隆元殿。少しお茶を飲みますか。」

隆元が帰ったら、土佐に重機の材料を要求せねばと親和は心の内で密かに笑っていた。









久しぶりに書きました戦国次世代!
親和ってこんな子で良かったんだっけな?と思ったのですが、色々考える程書いていなかったのですね、あの人。
なんかこう、嫡男と次男以下の境界線みたいなものを書けたらなって思いました。