疲労(小説家信親×担当隆元)

※「逼迫」より微妙に続いています。



隆元は寝込んでしまった。

日常の疲労が解消しきれずに溜まっていることは自覚していたが、父との確執、先生へ植え付けてしまった誤解。とどめに社長の逮捕と、隆元の根底を揺さぶるような問題が怒涛のように押し寄せてきて、流石に耐えきれなかった。

「・・・39度か・・・。」

体温計に写し出された自分の体温をぼんやりと呟いて、細いため息を付きながら寝返りを打つと、壁に貼ってあるカレンダーが目に入った。
しかし隆元は、今日が何月何日なのか全くわからない。
あれから何も考えたくなくて、時間や日にちがわかるようなものや、人からの連絡を極力見聞きしていない。
携帯も電源を切ったまま充電もしていないし、何度寝起きをしたのかもよくわからないでいた。
ただ、来客はあったような気がする。それは警察であっただろうか、マスコミのようなものであっただろうか。幾つか質問を受けて、思い浮かんだ単語を適用に声にし、その後警察らしき人物たちは家の中に入って何かを持っていったような気がしたが、もうどうでもよかった。
それからは本当に誰とも話をしていない。
カレンダーをじっと見つめながら、北海道から戻ったのと先輩から電話が入った時から数えて、大体10日ぐらい経ったような気がするが、考えるのを諦めてカレンダーに背を向けるように毛布を被って再び寝返りを打った。
今まで熱にうなされているが一向に熱は引く気配がない。食欲もなく、ペットボトルの水だけで過ごしている。いっそこのまま死んでいってもいいかとすら隆元は思っていた。

(会社は・・・どうなったかな・・・)

起きていると考えてもどうしようもないことが浮かんできていけない。枕元に置いたペットボトルにそろそろと手を伸ばし、口をつけて小さく熱い吐息を吐いた。
あれ程貢献してきた会社ではあるが、その分不正を黙認していたということでもあるから自分も同罪なのだ。先生にあのように言われたことも全て、今までのツケが回ってきただけなのだ。

(私は・・・自分の道を進んでいるつもりでいたけれど・・・逃げ道を選んで生きてきたようなものなのではないか?)
(・・・でも。)
(どうして、先生のことが頭に浮かぶんだろう。)

まるで、今の自分は出会ったばかりの先生のようだ。
頭のてっぺんまですっぽりと布団を被ると、信親が机に向かって執筆する後ろ姿が瞼の裏に映り、なぜか無性に泣けてきた。
会社抜きに、等身大の自分と向き合ってくれたのはあの先生であったと、どうして今まで気付かなかったのだろう。
そんな先生に無意識に安心して怠慢になってはいなかったか。分かったつもりで理解していないまま仕事のフィルターを通して見ることは、あの先生が一番嫌うことではないのか。
やっと繋ぎとめたいと思えた縁なのに、既に切れた後に気付くなんて。なんて私は馬鹿なのだろう。
伝える相手がいなくなってしまったというのに溢れそうな思いを抱え込むように、隆元は己の痩せた身体を抱いて、小さくなって泣いた。




「・・・兄貴?」
「・・・ん・・・?」

上から声が降ってきて隆元はふと目を覚ました。
あのまままた眠ってしまったようだ。被ったままの毛布から頭を出してみると、明るい茶色の髪をした男が覗き込んでいた。

「・・・・・・・・・元春か?」

そうだ、元春だ。久しぶりだなあ、ああ、そういえば元春には家の合鍵を渡していたのだっけと悠長に考えていたのだが、隆元の顔を見るなり元春は目を見開いて息を飲んだ。

元春は何も言わずにそのまま隆元を担いで車に乗せ、病院へ直行。
インフルエンザと栄養失調と自律神経失調症という診断結果をくらい、家での絶対安静を命じられた。
帰ってきたら帰ってきたで、元春は新しい布団を敷きそこに隆元を投げ込み、新しいペットボトルを投げて、急いで家を出て行った。
ぞんざいに扱われるのには慣れているが、久しぶりに見た兄弟の姿と、血縁者故の容赦のなさには忘れていた愛情を思い出して、隆元は心の中がくすぐったくなった。

しばらくして、両手に大きな買い物袋を下げた元春が帰ってきた。
続いて家の中をばたばたと慌ただしく移動し、その間に隆元に向かって濡れたタオルと新しい着替えを投げてよこした。
隆元はふらふらになりながらタオルで体を拭き、投げて渡された服に着替え、再び布団に入る。しばらくすると、洗濯機の回る音と、掃除機の音が聞こえてきた。
元春が開けっぱなしにしていった寝室のドアから、時々姿がちらつく。
ぼんやりとその姿を追いながら、隆元はひどく安心している自分に驚いた。
家に人がいる安心感を思い出した感じ。それから久しぶりに見る血の繋がった弟は、以前より少し背が高くなった。そして、頼もしい男の顔になっている。
そういえば元春は昔から、何か大事なことがあるといつも無言で助けてくれたな・・・。今頃きっと、私を不甲斐ない兄と思っているに違いない。
その証拠にどこか表情が怒っている。

やがて、元春が寝室にやってきた。
片手にどんぶり、もう片手にはやや形のふぞろいな林檎が乗った皿と、それからスポーツドリンクのペットボトルを器用に指に挟んでやってきた。

「俺、料理ってそんなにしないからレトルトだけど。食える?」
「・・・ああ。」

ん、と差し出されたどんぶりの中身は卵の入ったお粥であった。
アツアツで何度か息を吹きかけても中々口に運べずにいる隆元をみながら、元春はベッドの縁あたりに座り、持っていた林檎をひとつ摘まんでシャリ、と、食べはじめた。
しばらく、隆元がお粥を冷ます音と、元春の林檎の咀嚼音が寝室に響いていた。
お粥が冷めない。かといって無言のままでいるのも居心地が悪く、隆元は口を開いた。

「・・・家事は今、誰がやってるんだ?」
「相変わらずお手伝いさんを雇ってるよ。最近は隆景も色々やりだしたけど。」
「そうか・・・。お前は、今何をしてるんだ?」
「親父の手伝い。運転手とか、親父の代わりに話したりとかそんなもんだけど。」
「隆景は?」
「学校に行ってるよ。」
「・・・父上は?」
「相変わらずってとこかな。」
「・・・。」
「・・・。」

また無言。
元春は隆元については何も聞かない。
ただ黙って背を向けて、林檎をかじっている。
何も言わない優しさが、そこにあってつい甘えそうになる。

「元春。」
「ん?」
「・・・大内はどうなった?」
「倒産だって。」

やっぱり。だが予想はしていたから、大きなショックは受けなかった。むしろ他人事のようで、そうかと呟いた言葉に感情はなかった。
元春が言う。

「何日何回電話しても出ないから、来た。そしたら死人みたいな顔して転がってるんだからさ。・・・気持ちはわかるけど。今回の件、兄貴は何もしてないって、俺も隆景もわかってるって。他の人だって、いつもの兄貴を知ってる人なら分かってるんじゃないの?・・・あ、俺洗濯干してくるわ。それ食ったら、薬飲んでくださいよ。」

寝室から元春が出て行った。
隆元は、手元のどんぶりの中の粥に目線を落とす。
匙で少し救って口に持っていくと、少し冷めていてやっと食べることができた。
久しぶりの暖かい食事だ。美味しい。
無心に食べた。
気が付いたら涙が流れていたが、それでも目の前の粥がなくなるまでがっつくように口に頬張った。
生きなければ。
そうだ、まだ私は死んだわけではないのだから。



薬を飲んでしばらく眠り、再び目を開けると、薬が効いたか大分よくなっていた。
元春は未だ家にいて、リビングや寝室にある大量の本の山を片付けていた。

「心配をかけてすまなかったな。」
「いやいいって。あと、大内関係は俺と隆景で何とかするしさ。それから・・・」

そういって少しだけ目を泳がせて、元春は躊躇う素振り。
けど、次には隆元の目を見て告げた。

「なあ兄貴・・・大内もなくなっちゃったことだしさ。・・・そろそろ、うちの会社に戻ってみない?」








珍しくタイトルが速攻決まりました。