雲海(元春+親和)

岡豊でも、讃岐でも見た事がない大雪原の中に佇んでいる。
辺りを見回すと、人は誰もいない。
足は雪の中に埋もれているが冷たくはなく、その感触は綿のようにふわふわとしていて、空気はむしろ柔らかかった。
空にもまた、足元の雪と同じような白い雲が立ち込めているが、地平線近くに広がる西の朱色のお陰で冷たくは感じない。
やや傾いている日輪は真珠のような淡い乳白色に光り、もっとこの風景を見ていたいな、と親和は思った。

ふいに、日輪の周りに細い光の輪ができた。
この後に天候が変わる証拠だ。

(・・・嫌だな。)

ずっと見ていたいのに。



「・・・。」

ぱちりと目を開けると、見慣れた暗い天井が広がっていた。
この暗い天井は、夢かもしれない。
あの風景の空気を肺一杯に吸い込みたくて大きく息を吸ってみたが、古びた邸の匂いは病みはじめて久しい己には少々堪えた。
拒絶するように大きく咳き込む。

小さく障子が開き、世話役が現れた。
頭を垂れてかしこまった表情は硬く固まっている、自分の体調を案じてのことではないようだ。
親和は口に手をやりながら、横目でそれを見る。

「親和様、お客様がお見えです。」
「・・・・・・誰ですか?」
「それが・・・安芸の、吉川元春様が・・・親和様にお会いしたいと。」

元春が?会いたい?
そういえば、ずうっと会ってはいないし、会ったのもたった1度きりだった。
そんな毛利の次男が一体何をしに。
親和はしばし考えたが、あの男が来る理由など検討もつかないので、ふうと小さくため息をついて口を開いた。

「通してください。」

世話役の目が僅かにこちらに向いた。

「・・・大丈夫、なのですか?」
「ああ。大丈夫です。」

世話役が再び小さく頭を下げて出ていった。
ぱたぱたと遠ざかる足音を聞きながら身体を起こす。
まだあの夢の光景が忘れられなくて、ずるずると床を這うように障子に手を伸ばした。
障子を開いた向こうの風景は、悔しいくらい微塵も変わらない岡豊の邸の庭しかない。
親和は、思わず顔を顰めた。




「元気か?」

世話役に通されて早々、元春は親和の床の傍に座り声をかけた。
香川家が改易となり、領地を失った親和は土佐に戻ったと耳にした。そして、長男は死に、跡目相続で揉めている、とも。
そして元春自身も兄を失った。父は相変わらずだけれど、少し毛利の雰囲気が変わったような気がする。
ふいに、戦以外で遠方に足を運んだ記憶がないことにある日気が付いて、そういえば、土佐の二男は病を得たと聞いたが、どうしているだろうかと考えたら、山陽を支配する隆景を差し置いて行動していた。

元気か、と尋ねたはいいものの、元春は返事に期待はしていない。
一度長曾我部の援軍として足を運んだ時に見た姿に比べれば、親和の顔色は青白く、衣から見える首も手も骨と皮のようだ。
時折湿った咳を漏らす口元が、少しだけつり上がった。

「・・・さぁ?」
「・・・そうか。」
「それより、何をしにきたのですか元春。珍しいですね。」
「いや、何してるかなと思って。あ、出雲土産がある。世話役にやっておいたから後で食えよ。」
「ああ、それは忝い。・・・僕も何かお礼がしたい所ですが・・・」

あげる物が見つからなかった。
親和の目が泳いだ。

跡目相続。
あの兄が死んだ。
死なないと思っていた兄が死んだ。長曾我部の未来を背負うべき人はただ一人だったのにと、絶望の縁にいた時に天から声がした。
次に長曾我部を継ぐのはお前だ、と。
確かに、兄弟の順でいったらそうだ。しかし僕は讃岐の一国を守っている。
僕の役目は、讃岐で瀬戸内の向こうにある敵を睨み、土佐を守ること。

でも、守るべき兄上はもう居なくて・・・。
讃岐よりも守らなければいけないのは、本家である長曾我部。
じゃあ僕が、兄上の代わりになることはできるのだろうかと思ったら、小さな欲が生まれてしまったんだ。

でも、父上は違うことを考えていた。
僕ではなく、親忠でもなく、盛親に跡を継がせると言った。
僕はもう長曾我部の人間じゃあないと。香川の人間だから。
でも、香川家の讃岐は既に無く、土佐の東の小さな小さな所領を貰ったけれど・・・。
僕も、父上と母上の息子で、兄上と変わりはないじゃないですか。
どうして。
どうして。

心に出来た鏃(やじり)は、次々を心を突き破って身体を蝕んでいった。
それがこの有様だ。

「そうか、元春。貴方は僕を笑いに来たのですか?」
「・・・。」
「役目を失った僕を。」
「・・・。」
「貴方が来たということは、僕の死はそこまで来ているということか・・・。」
「・・・。」

元春は、ぎゅ、と、親和が布団の端を掴んだのを目の端に見た。
そんな現実を認めたくないと言っているようなものではないか。
大きくため息をついて、元春は後頭部を掻いて口を開く。

「人を死神みたいに言うなよ。俺は隆景みたいに労わる言葉をかけたりするのは性に合わないからしない。・・・が、お前、忘れてないか?」
「・・・。」

空気が変わった。
ゆるりと腰をあげる。
どこか静かな雰囲気が研ぎ澄まされた殺気に変わり、刀を振りかざすように腕を上げ、親和の喉元に刃のような人差し指を突きつけた。
親和は元春の殺気に動けず、目を見開くしかできない。

「今俺が敵になったらどうする?」
「・・・。」
「豊臣が天下を取ろうとしているが、乱世は終わっちゃいない。同盟なんて無いも同然だ。うちの親父はよく裏切る事知ってるだろ?」
「・・・。」
「今俺がここでお前を討って、その向こうの元親を討つ事も、できるかもしれないぜ?」
「・・・。」

紫の瞳がひと際見開いた。
それは・・・違う。
いけない。
全身が震えるような感覚がした。
刹那、親和は病人とは思えぬ素早さで枕元の刀を手にし、鞘を乱暴に振り抜いて元春に向けた。
2本の足で震えながらも立ち上がり、そして・・・血を吐くように告げた。

「・・・もし、今の言葉が・・・元春、お前の真の言葉だとしたら、僕は命を賭けてここでお前を討つ!」
「・・・。」
「長曾我部の血を絶つ者は・・・殺す!」
「・・・。」

抜刀した刀の切っ先が元春の首に迫る。
冷たく熱いそれは、ひたりと喉仏に当たって止まった。
すると、それまで殺気を纏っていた元春は何事もなかったかのように穏やかになった。

「・・・冗談だよ。」
「何?」
「冗談だって。でも今のでわかったろ。土地なんて関係ない。守るものは他にあるって。」
「・・・。」
「これは家の家訓みたいなもんだけどさ・・・。うちの親父がよく、1人でかかって駄目なら纏めてかかってでも倒せって言うんだ。俺とか、隆景とかはいい方向に、1人で駄目でもみんなで力を合わせて・・・って考えてるけどな。それって、お前の所も同じなんじゃねぇの?」
「・・・。」
「普段は農民やってる奴等の力まで借りれるんだ、農民の力は凄い。想像しただけでも相手にしたくないよ。」
「・・・。」

刀を持つ親和の手がにわかに震えだした。
敵に向ける刃が、己の身体の内にある何かを突き破った。
喉からこみ上げてくるものを抑えるようと口を押さえても、激しい咳き込みは止められなかった。
そして、膝を折ってしまった。
つい手から零れた刀は無情に冷たくどすりと床に突き刺さり、親和は顔をあげた。

口元からゆっくりと離した両手は、元春の両肩に乗った。
手も口も、大量の血で真っ赤に染まっている。
小袖に未だ生温かい血がべたりと貼りつく。
充血した紫の瞳も赤く見えて、鬼気迫るとはまさにこのことかと元春は思ったけれど、表情にはださなかった。

「・・・元春。」
「何だ?」
「どうして・・・!やっと真に守るべき物がわかったのに・・・・・・もう・・・僕には、守る力も、時間も・・・ない・・・!」

肩を掴んでいた両手が力なく落ちた。
それでも元春は何も言わない。
ぼろぼろと泣き崩れた親和の姿は、早くに逝った誰かの面影を思い出させた。
あの人も自分の志をやっと自分自身で見つけた所で逝った。親和と違うのは、死期を悟っているかいないかだけの違いだが・・・。

(・・・似てるな。)

あの人と。
そして、他家を継いだ自分自身とも。自分だって、いつ親和のようになるか分からない。
両方共に似ているから、腹を割って話せそうな友人になれそうだと思ったのに。
元春は、血に濡れた親和の手を両手で包み、祈るように自分の額に押し当てた。
どうかもっとこの人の命が続きますように。
少しでも長く、長く。
この人の心が少しでも安らぎますように・・・。


(体温は、あるのにな。)


岡豊付近に霧が立ち込めてきた。
雪のような雲海に染まるのは、もう少し陽が落ちた時かもしれない。








次世代次男ズ。割と雰囲気が似ていて仲よしだったらなって思います。
久しぶりに書きましたが・・・どうなんでしょう;勢いで書いたので、後で直すかもです。