秋、隣人の家から(現代毛利家)






午前中で大学の授業が終わった隆元は、そのまま家に帰宅して昼食を取り、しばらくしてから隣の長曾我部の家に行った。
目的は家庭教師。長曾我部の末っ子・盛親の勉強を見る、所謂アルバイトである。

「・・・。」

最初にちょっとした簡単なテストをやってもらい、点数をつけた隆元は絶句した。
理数系は文句なしの全て100点。英語もまあまあではあるが、国語と社会・・・特に社会がお世辞にもいいとは言えない点数で、隆元得意の苦笑いにも拍車がかかってしまう。
盛親も盛親で、自分の点数を自覚しているらしく、居心地悪そうに唇を尖らせて俯いている。
隆元は優しく盛親に話しかけた。

「・・・盛親殿。社会ですが、世界史の復習はしましたか?」
「したけど・・・。」
「わかりませんでしたか?」

すると、幼い銀髪がこくりと小さく頷いた。

「では、どこが分かりませんか?」
「・・・分かんないとこが分かんねぇ。」
「う〜ん・・・。」
「だって、みんな同じような名前だし、その時の時代なんてわかんねぇし、そんな時に誰が何したなんて、もっと知らねぇよ。」

隆元はいよいよ困って言葉に詰まってしまった。いつもなら、盛親は少しばかりこちらを睨んで、仕方がないと言いたげにシャープペンを持ってくれるのだが、本当にどこから理解したらいいのかすらもわからないらしい。理解できずに拒絶になるのだけは避けたい。
さて、どうしたものか。
そこで、丁度いいタイミングというべきか、ジャケットのポケットに入っていた携帯が鳴った。盛親に少しすみませんといい、取りだしてみると、ディスプレイには隆景の文字。
確か隆景も家に戻っているはずだ。携帯にかけてくるより、こちらに来たほうが速いような気もするが、隆元は通話ボタンを押してみた。

「はい。隆元です、どうした?」
“ああ、隆元兄。隆景です。今、長曾我部の家庭教師中ですか?”
「ああ、そうだが。」
“バイト中に失礼します。今日は何時ぐらいまでかかりそうですか?”

腕の時計を見れば、午後5時半を過ぎようとしている。長曾我部の夕食もあるだろうからそう長居はできないとしても、盛親にもう少し理解させようと思えば・・・

「そうだな・・・7時ぐらいまではかかりそうです。」
“そうですか・・・。わかりました。夕飯ですが、今日は私と元春兄で作ります。”
「えっ!?」

隆元は今度は耳を疑い、同時に半年程前の悪夢を思い出した。
大学のレポート提出に追われ、隆元の帰宅が遅くなった時に腹を空かした弟達は、食べ物ではなく劇薬を作り上げていた。とりあえず冷蔵庫の中身とその周辺の物を鍋に入れただけらしいが、どれをどうしたらこの異臭と紫色になるのだという鍋のそれは、コポコポと不穏な気泡をあげつつ湯気を立てている。
少しだけお玉に掬い舐めてみたその味は、すぐに卒倒してしまったからよく覚えていないが、あれから二人を台所に立たせてはいけないと隆元は心に決めたのに。

「いや、早まるな!どうして二人で作るんだ、直ぐに帰るから・・・」
“いえ、今度はレシピがあるから大丈夫ですよ。今丁度元春兄とデパートで食品を・・・あ、元春兄、それは賞味期限を・・・・・・というわけで大丈夫ですから、隆元兄はゆっくりと長曾我部を調教してください。”

といって、やや強制的に切られた携帯電話を心配そうに見つめた隆元は、隣の盛親の視線を感じてバイトに戻った。






盛親にとりあえず興味のある時代を聞いたり、歴史上の人物のちょっとした可愛気のある話をしながら、隣の自宅から破壊音や喧嘩声などが聞こえてはこないか耳をそばだててはいたが、なんとかそれらは聞こえずに盛親への話は済んだ。
分からないなら、興味をそそられるような話をするしかない。そこからちょっとした反応を見て、理解の糸口を見つける。
だから、盛親が得意な数学や科学の発見をした人物の話をして今日は終わり、長曾我部の家から自宅までの数歩を隆元はゆっくりと歩いた。

「ただいま帰りました。」
「おかえりー。」
「おかえりなさい。」

反応はいつもと同じだ。
リビングへ行ってみると、元春はソファに横になって携帯ゲーム機をいじっている。隆景はリビングの机に教科書と辞書を広げて勉強をしていた。二人とも何食わぬ顔、いつもと同じだ。
晩御飯はどうしたのだろう。食材は買ってきたがよもやそのまま・・・ではなかった。
キッチンへ行ってみると、鍋の中には何かがしっかり存在している気配がする。
おそるおそる開けてみると、そこには紫色の劇薬ではなく、美味しそうなシチューがあり、隆元は目を見張った。

「これは・・・本当にお前達が作ったのか?」
「はい。この間はレシピが無かったので散々な目に遭いましたが、それでも私達が作れるものといったら、カレーかシチューだとなりまして。」
「で、ジャンケンしてシチューになったよ。親父ももうすぐ帰ってくるってさ。だからそれまで待ってようよ。」
「・・・今日は何かあるのか?」

元春も隆景も答えずに自分の手元を見ていた。
だって今日は。
今日は貴方が命を落とした日だから。
みんなで、貴方が生きていることを確認したい日だから。
貴方が何かを食べて、飲んで、話して、笑っているところを見たいんだ。
ただそれだけ。

元春が口を開いた。

「何も?」
「たまにはいいじゃないですか。」

すると、隆元は少しだけ瞬きをして、そうだなと笑って自分の部屋に歩いて行った。
その後ろ姿を元春と隆景がずうっと見ていたことは、隆元は知らないままである。









9月18日は隆元の命日。