琴線(信隆)






「あいつを吐かせるの、俺ァ無理だ」

障子を開いた途端、珍しく諦め顔をした父がそう溜息混じりに告げたのを、信親はぼんやりと見た。
父であり兄貴と慕われる元親の言葉に何も心が揺らがないとは、相手も相当頑固者か。
否、きっと捕まえた者の背にある軍紀に根源があるのだろう。

「しかも、殴っちまった。」
「なんで。」
「“鬼だ”とよ。」
「・・・。」
「“しかし脅威ではない。元就様の言う理性のない獣とは、まさに是”・・・チックショウ。思い出しただけで腹が立つぜ。」
「ふぅん・・・どうすんの、親父。斬る?相手はきっともうあいつを見捨ててるよ。」
「・・・や、それはしたくねぇ。」
「じゃあ」
「信、お前に任せる。」
「え!?」
「お前なら、なんとかできんだろ。」



数日前、長曾我部は因縁の敵ともいうべき毛利と対峙した。
戦況は膠着に陥り、いつも通りどちらともなく撤退したのだが、その時長曾我部軍は毛利が一将を捕縛していた。
その将と刃を交えたのは、他でもない信親自身であった。
騎乗のまま大太刀を奮い起こした風で、落馬した相手の首をすぐさま討ち取ろうとした刹那、目にも止まらぬ一閃が信親の乗っていた馬の足を斬っていた。
信親も落馬するがなんとか受け身を取り、大太刀の切っ先をひたりと首にあてて勝負はついたが。
見上げてきた瞳には諦めなど微塵もなかった。
そうして仕方なく逃そうとしたら、叔父の親泰がすぐに捕縛したのだが。

父に言われて仕方なく、信親は城の地下は奥にある牢へと足を運んだ。
ここに閉じ込める者はいても、首を斬るに至った者はいない。
元親に諭され感銘を受け、ありのまま自分の身を白状する者やそのまま長曾我部軍に加わった者、さまざまな者を入れていた、ある意味贖罪の場でもある。

(しっかし、毛利の誰だかわかんないっていうのがなぁ。)
(馬に乗ってたんだから、ある程度毛利の中でも力を持っている奴・・・同盟国の主か、毛利一門か・・・。)
(あの毛利元就なら、きっと捕縛してもそういう捨て駒のひとつ、何とも思ってないんだろうけど)

ふらふらと牢に辿りついた信親は番人に軽く挨拶をして(とはいっても大声で笑いあうぐらいの話はしたのだが)、その男が居る一番奥の牢に向かって足を進め、しっかりと錠がされている入口の前でぴたりと止まった。

「・・・。」

男は信親が目の前にやってきても伏し目で正座のまま、微動だにしなかった。
先程父に殴られたらしい左頬は痛々しく腫れているが、それでも唇は真一文字に閉ざし、長く茶色い髪は少しも揺らぐことなく地へと垂れている。
具足等は全て取り払わせ、着流しのまま。ひやりと冷たいこの牢ではきっと寒かろうに。
信親は、番人に錠を開けさせ、大きな背を曲げて男の居る牢の中へと入って行った。
男の目の前にしゃがみこんで様子をみようとするが、男は目を合わせてくれない。

「さっき親父に殴られたんだって?」
「・・・。」
「俺は長曾我部信親。長曾我部元親の嫡男だ。」
「・・・。」

その時、僅かだが男の瞳が信親のほうへ動いた。瞳に宿す感情は、皆無。

「・・・まずは頬を治すか。口の中も切ったろ?湯と薬を持たせるよ。ま、口を閉ざすも開くもあんた次第だけどさ。居心地悪いけど、ゆっくりしていってよ。」

それだけを言うと、信親は背を伸ばして牢から出て行った。

(・・・)

しかしあの少しだけ見せた瞳は一体なんだったのだろうか。
父には口を開かなかった口だが、本当に自分ならば開くことができるのかもしれない。

「もうちょっと付き合ってやるとするか・・・。」

暗い牢の階段を昇りながら、信親は呟いた。



番人が言うには、あの後すぐに用意させた湯と薬を、男は素直に受け入れたという。湯で血まみれの口内を濯ぎ、薬を塗り。だが、それでも口は割らなかった。
ただ、湯と薬を差し出してきた番人に、小さく頭を垂れたというから驚きだ。
それを聞いて一番驚いたのは、元親である。

「信、どんな手使ったんだ?」
「どんな手って・・・普通だけど・・・。」
「ま、じゃああとは本気でお前に任せる他ねぇな。頼んだぜ。」
「う、うん。」

頼んだぜと言われても、頼まれた身になってみれば本当に普通、いや、怪我人に当たり前の治療を施したまでに過ぎないのだが。
信親は今後どうすればと考えて、黒い髪の後頭部を大げさに掻いた。
だが、きっと・・・
あの僅かな瞳の揺らぎを大きく揺さぶることが出来るのは俺しかいないんだろうなぁ・・・

(どうしてだろうな?)

考えながら、信親は再び牢へ向かった。
男は以前と変わらぬ着流し姿で同じ場所に同じ正座で座っていたが、どことなく空気に棘が少なくなったのは気のせいだろうか。
信親は男の前に胡坐を掻いて、にこりと笑った。

「怪我、治ってよかったよ。」
「・・・。」
「そろそろ腹も減ったんじゃない?ちょっといいものを今度持たせるよ。」
「・・・。」
「はぁ・・・。俺は、あんたが親父の因縁の敵の一人っていっても、このまま出してやってもいいんだけどなぁ」
「それが嫡男の言葉か」

突然目の前の男が口を開いたものだから、信親は呆気にとられた。
男の瞳はしっかり信親を捉え、言葉を紡ぐのを止めない。

「私は敵だ。しかも貴殿の父の怨敵毛利が将の一人で敵の本拠に捕らわれている身。いっそ殺しても構わぬぐらいは思わないのか。」
「思わない。」
「っ・・・」
「まあ、あの元就さんだったらやるだろうね。けど、うちは違う。それが因縁の根源でもあるんだろうけど。それから、親父と俺も違う。」
「・・・。」
「それとも・・・殺されたいの?そう見える。」
「・・・私は・・・」

敵の瞳はしっかりと意思を持っていた。信親も譲れない。じっと互いを見据え、さてどうくるかと思考を巡らし始めた時だった。

「敵襲、敵襲―!!」

牢の上のほうがざわつきはじめ、その声が信親にも届き思わずその場に立ちあがる。

「何事だ!」
「毛利が、毛利が攻めてきました!」
「っこの間の戦から、そんなに時が経ってないじゃないか!」

と、信親は被りを振って未だ正座をしたままの男を見た。
もしや、この男が密偵と内通したか?
じろりと男が信親を下から見上げる。

「・・・私が内通したとお思いか?そんなことできぬであろう。そしてこの事態、私は読めなかった・・・。」

男の言葉尻がやや諦めを含んでいたのだが、転がり込んできた長曾我部兵の言葉にそれは掻き消されてしまった。

「信親様!」
「どうした!」
「敵は毛利軍ですが、総大将の毛利元就は不在、吉川元春と小早川隆景が指揮を執っている模様!」
「兄貴は!?」
「既に海に出、船でもって応戦中!」
「すぐ俺もいく、うわ!」

その時だった。
突然牢の廊下を物凄い爆風が駆け抜け、がらがらと牢と地上とを結ぶ階段のあたりの石垣ががらがらと崩れてしまったのだ。
しかし、土煙が引くと同時に牢のどてっ腹に見事にぽっかりと外に通ずる穴が開いていた。
そして現れたのは一人の将。陣羽織には毛利の家紋と、別な家紋があしらわれている。

「・・・よぉ。うちの兄貴が世話になったなぁ?」
「なんだ、てめぇ!」
「毛利元就が二の矢、吉川元春だ!で、こっちのあんたらに捕縛されてたのは・・・」

そこで、正座をしていた男はすっと立ちあがり、元春の言葉を制するようにゆるりと肩腕を小さく伸ばした。

「確かに、父上はこのようなことはすまいな・・・。捕まった私など捨ておくと思っていたが・・・。長曾我部の馳走、誠に感謝致す。私は毛利隆元。毛利元就が嫡男だ。」
「毛利・・・隆、元?嫡男?」
「我らが父同士、因縁があることは十分承知している。だが、貴殿は言っていたな。親父と俺は違うと。・・・私も、私と父上は違う。・・・否、そうありたい。再び戦で相見える事、切に願っている・・・さあ、行くぞ、元春。」

そうして、萌黄の着流しのまま元春が投げてよこした愛刀を受け取った隆元は、そのままぽっかりと空いた穴から脱出していった。
最後に、ふ、と、笑みを残して。

「・・・様、信親様!!」

再び呆気に取られていた信親の耳に兵達の声が届いて我に返った。

「追うぞ!奴等を見失うな!」

違う。本当は逃がしたい。
嫡男同士、似た者同士だからあんな風に心が揺らいだのかと思うと、もっと話がしたかった。杯を酌み交わしたかった。
いや、生きているのだ、希望は潰えてはいない。

(だから・・・)
(しっかり逃げてくれよ?次に合う時までね。)


(私自身、唯の捨て駒ではないとは知っている・・・それは弟達も同じようだが、元就様は私を兵卒同等の捨て駒と見ている・・・)
(あの方ならば、私を理解してくれるだろうか。)









超久しぶりな戦国信隆でした。
かっこいい隆元、かっこいい信親を目指した結果です。
最初はきっと敵同士ですよね。