体温が帰った日(100万人の戦国無双 小早川隆景&秀秋)






秀俊は見知らぬ床の接ぎ目を物憂げな顔でじっと見つめていた。
天守の座敷に居るのは、この城の城主の家臣が一人と、自分だけ。
こうして待つのは慣れている。
いっそ待つのが己の役割のようなものだ。
何度も家族を変えられ、居場所を変えられ、名を変えられ。
その全ては己の居ない場所で決められ、自らはただ首を縦に振る他ない。しかも叔母よりは凡庸な子と称されて・・・否、凡庸であることは傀儡となるのに丁度いい存在なのかもしれない。

(わたしの行く先は、どこなのかな)

冷たい床は何も語らなかった。
次にこの身を委ねるのは毛利家の分家である小早川家である。元養父である秀吉は、実子ができてから変わってしまった。

“お前を養子に出す先は名門毛利家の分家、しかも養父となるのは五大老の一人の小早川隆景だ。隆景は聡明故、お前をないがしろにはせんだろう”

鼻で笑いたい。誰が“ないがしろにはせんだろう”だ。
“だろう”などという憶測は一体どこから生まれるのか、次々と鞍替えさせられる自分の身にもなってほしいものだ。しかも、名門とはいえ、養子に出される先は豊臣の縁者ではない。唯の豊臣の家臣に成り下がるということではないかと秀俊は思うが、その口は何も語らず、ただただ新しい養父を待つしかできなかった。

どうにもならない事を考えてばかりの秀俊の背後より、気配が迫った。同時に同室していた居た家臣の一人が障子に向かって頭を垂れる気配。
障子が開いたと同時に、秀俊は頭を垂れた。
ああ。これで頭を垂れるのも何回目か・・・。

「ああ、頭をあげてください」

思ったより柔和な声だと思った。
そしてそれよりももっと秀俊が驚いたのは、声の近さであった。
ゆっくりと頭をあげると、新しい養父は上座に座らず、自らのすぐ手前に座っており、秀俊は驚いて目を丸くした。
使いの者より聞いていた隆景の年齢は、元養父の秀吉とほぼ変わらないというのに、未だ40代半ばのような若々しさに溢れていた。そして口元や瞳は柔らかく、但しその視線は鋭く秀俊の心の中を射抜いているようで、秀俊は思わず固唾を飲んだ。

「・・・た、太閤殿下の元より養子として参りました、秀俊と申します。今後小早川家に尽力する故、何卒よしなに宜しくお願い申し上げたく存じます・・・」

すると、隆景は目を細めてよくできたといわんばかりに小さく頷いた。

「話には聞いています。我が小早川家は貴方を歓迎しますよ」

すると、隆景は近くにいた家臣に目配せをして、人払いをかけた。一体何をする気だろうか。噂によれば、この養父はこれから従兄弟となる毛利の当主・輝元の後見人となり、時には鬼のように養育したと聞いた。
自らも、そうされるのであろうか・・・。
隆景は再度ふわりと笑った。

「そう力まずとも大丈夫ですよ。・・・ですが、そうですね。貴方にはここで話しておいたほうがいいでしょうか」
「・・・どのような・・・?」
「小早川家は毛利家の家臣です。故、私と養子縁組をした時から貴方も毛利の家臣となっています。ですから、まずは輝元様へ謁見をして頂きます。それから・・・」
「・・・」

隆景は秀俊に額を近づけ、小声で続ける。

「私には子がいません。誰かは秀吉が輝元様の養子にと毛利家を貴方に継がせ、毛利を乗っ取らせるのが目的と言いました。真実は解りませんが、火の無い所に煙は立ちません。ですから子の無い私が貴方を養子として向かえ入れました。ですが私もそう長くは無い」
「・・・隆景様・・・?」

すると、隆景は念を押すように自らの膝を秀俊に擦り寄せ、さらに声を低くした。

「私の後は貴方が継ぐのです。その時は、思う存分この小早川家を使いなさい」
「え・・・?」
「貴方は幼き頃より秀吉を始め、色々な方から裏切られてきたのは知っています。そこに同情はしません。ですが、誰にでも拠り所は必要。そして、貴方の弱みは貴方自身が己の力量を知らないことだ。・・・まあ、そういった場を与えられなかったのだから当然でしょうが・・・。けれど、いざという時、小早川の名と貴方の持つ豊臣の血筋を使えば、大軍を率いる事は可能。戦局を覆す力を持っている事を覚えておきなさい」

隆景の口から出た戦局という言葉に、秀俊は驚いた。日本(ひのもと)での戦は既に終わった、その後の残骸のように自分は生きているのではなかったのか?
そして、隆景の言葉を聞いているうちに、己の内に何かが沸き起こってくるのを感じた。隆景が“秀吉、秀吉”と、元養父であり天下を統べる者を蔑むような言い方にも、何の抵抗なく腑に落ちている。
秀俊はそれでも小さな不安を拭いきれず、隆景に尋ねる。

「・・・でも、太閤様が天下を統一したから・・・」
「戦は未だ続いていますよ。現に今も大陸へと兵を向けているではありませんか。貴方は秀吉はずっと生きているとお思いですか?」
「・・・」
「人は誰でも必ず死ぬ。秀吉が死んだら、再び日本でも戦が訪れるでしょう。そうなった場合、貴方は一軍を率いて状況を見据えるのです。道を誤る事を恐れてはいけない。どんな手を使ってもいい、生きなさい。小早川の名を汚してでも減封されようとも生きなさい。生き長らえるということは、それだけでも道を切り開いたということになります。」
「隆景様・・・」

秀俊の声の一瞬で、柔和だった隆景の顔が不敵な笑みに変わった。

「私は・・・父・毛利元就の手で掴んだ小早川家と、そして貴方と心中する覚悟です。私も元は毛利家の出。小早川ではない。私も貴方も、小早川の名を得たことで自由になれたのです。相当のしがらみはあれど、自分の家を持つことができた。もう傀儡ではないのです。暗愚と言われる事が何ですか。真実は貴方にしかないでしょう。そして貴方は貴方自身を知らない程馬鹿ではないと言う事を、私は先程の礼で確信を得ました」

秀俊は思わず俯いた。
“馬鹿ではない”それは何と比べて?いや、誰かと比べるのがそもそもの間違いか。
小早川家と養子縁組する意図を、秀俊は聞いてはいない。が、養父の言うように秀吉の思惑がそうであったとしたら、己の血筋を使えば毛利を操ることも可能で、逆に養父の言うように小早川の名を使い勲功を立てることも可能というわけか・・・。

「隆景様も死んでしまって、秀吉様も死んでしまったら、わたしはどうなるの?」
「それは貴方自身が決める事です」

きっぱりと隆景は言い放った。

「先ほど貴方に言った事が全てです。一歩踏みこんで暫く経ってから己の道を振り返った時に始めて、その時の決断の良し悪しは解るのですから。それが成長というものでしょう」

隆景はそこで腰をあげ、天守の襖の一つを開け放った。そこから見えた景色は、城下の家々と、その向こうの海。
綺麗な場所だと普通に思った。

「治政にも励んでいただきます。では、まずは安芸へ行く支度をしてもらいますよ。私は先に輝元様への文と献上する品を揃えます。」
「隆景様・・・!」

座敷を後にしようとした隆景を、秀俊はつい呼び止めてしまった。
不安は解消してはいないが隆景に尋ねる事も頭に浮かばず、こちらを振り向いた隆景に何を告げればいいのか考えあぐね、隆景とその後ろに広がる風景を見て出た考えをそのまま口にした。

「来て早々ですが・・・城下を見てもいいですか?すぐに戻ります。民たちの暮らしが知りたいのです」

すると、隆景はにっこりと笑った。

「ええ。・・・それから、私を呼ぶ時ですが二人でいる時は何と呼んでも結構です。ですが、公の場では養父上と呼びなさい」
「・・・はい」

(・・・父上、か・・・)

養父が座敷を出て行った後も、秀俊はしばらく座っていた。
わたしは自分自身を知らなければならない。
どうあって、どうあらねばならないか。
わたしと心中してくれるのか、今の名前は・・・。
秀俊はそれまで拳を握っていた掌をゆっくり開き、手首の付け根や指の関節に現れる血管をじっと見た。
今になってやっと、自分自身の体に血流というものが存在しているのを実感したのだ。









100万人の戦国無双、書きたい人がいっぱいいすぎます;
しかし隆景様が饒舌になってしまった。
でも何となく、隆景様は秀秋のことを輝元とは別な方向で、親として心配したと思います。そうじゃなきゃ、隠居する時に自分の家臣つけないって!(監視の意味もあったかもしれないけど)
・・・と、思うのは都合のいい話でしょうか・・・。