つなげる(香川親和&津野親忠)






須崎の者の誰にも言わず、親忠は急いで岡豊の麓にやってきた。
目の前にそびえる城山のある一点を、国分川を渡る手前で厳しく睨みつけ、珍しく、ぎり、と一つ歯を食いしばり、親忠は城へと向かう橋へ足を進めた。



戸次で長兄・信親が死んだ。
悲報は文ではなく、岡豊に帰りつくのに須崎を通った土佐兵らの姿で思い知ったのだ。
帰って来た父・元親やその他家臣達のぼろぼろになった姿。そして、そこには無い兄の姿。言葉には到底できない悲しみを押し殺したような、皆の無表情。
親忠はその場に崩れ落ちた。
どうして?
何故、兄上は死んだ。
武勇にも秀で、聡明なる長宗我部の次なる殿が。
兄を守る者はいなかったのか?
四国征伐を受けた折、天下を統べようとしている豊臣軍に降伏したのは、長宗我部もまた天下を一つに纏め上げるためではなかったのか?そのために自分も豊臣に人質へ出たのに。
そこまで考えて、親忠は島津という戦相手が悪かったのだと悟った。
薩摩は島津の兵は強力だと、戦には疎い親忠の耳にも入っている。馬や武器に必要以上に頼ることなく兵個々の士気が高く相当の武力も備えている。そういった士気から生み出された戦術を敵の空気に纏わりつかせ、策にはめる。
きっとそこに土佐兵は嵌ったのだ。
いや、今はそんな事を考えている場合ではない。
次を考えなくてはいけない。長宗我部の期待を背負った次代は潰えた。次にその役を担うのは・・・・・・

(私・・・・・・は、違うな)

そんな器量は持ち合わせてはいないと、親忠は理解していた。
須崎を父より宛がわれ、戦より土地を発展させようと尽力した結果、金策が追いつかなくなった。仕方なく父を頼ったが、所詮己は一国の一部の所領を治める家臣でしかない。ろくに戦にも出兵したことがない。
唯、唯一。唯一自らが持つ大きな力は、豊臣へ人質に出た際に培った縁(えにし)であろう。
しかし今は動かないほうがいい。下手に動けば、土佐の反乱分子として目を付けられ兼ねない。土佐のために働きたいのに、この肉体が無くなってしまえば元も子もない。
だから自らが持つ力は、もし土佐の内部ではどうにもできない事が起こった場合、最後の手札として使うしかないと親忠は考える。

(・・・・・・次は・・・・・・和ちゃん?でも・・・・・・)

それでも嫌な予感がする。
長宗我部と自らの背後に、津波のような何かが押し寄せてくるような気配を親忠は感じていた。



程なくして、親忠の元に父から、長宗我部の嫡子を盛親とするという文が届いた。
親忠は次兄と自分を置いて、末子である盛親への家督相続にどこか納得していた。それは、盛親の顔立ちがどことなく長兄に似ていたのと、父は知っているのか、盛親は父自身にも似ているような気がしたからだ。きっと、親和もそう思っていることだろう。
その直後、本家に豊臣方から文が届いた事が、親忠の耳に入った。

「親忠様、申し上げます。豊臣より、長宗我部の家督は、親和が相続することを認めるという文が届いたとの事!」
「えっ・・・・・・今・・・・・・何て?」
「〜〜〜っ豊臣側は、盛親様ではなく、次兄の親和様へ家督を譲れと仰せですっ・・・・・・!」
「なっ、何でっ・・・・・・!?」

親忠は思わず立ちあがった。そして、頭を垂れたままの家臣に向かい言葉を荒げる。

「どうして豊臣が長宗我部の家督に口を挟んでくるのよ!」
「長宗我部が・・・・・・豊臣の家臣だからにありましょう・・・・・・」
「だからって・・・・・・だからって!人の家の事にまで!」
「しかしこれに歯向かえば、再度長宗我部は豊臣の敵と見なされ兼ねませぬ。また、受け入れてしまえば・・・・・・豊臣の傀儡と成り得る事も・・・・・・」

親忠は家臣に背を向け、固く拳を握った。
気づいたのが遅かった。既に波に飲まれていたのだ。
だがどちらにせよ、長宗我部は既に豊臣の家臣となってしまっている。親忠自身は、豊臣ではなく長宗我部本家に仕えていると考えている。ここは父の意向に従うが妥当だろうが、この件で一番危ういのは、讃岐を改易され、岡豊に居る次兄の親和・・・・・・。

(和ちゃん、大丈夫かな)
(父上はどうするんだろう)
(土佐の所領を貰ったっていっても、讃岐とは大違いよ。一度讃岐守護代だって務めてるし、あたしなんかより多くの戦に出てるし・・・・・・怒ってるかな・・・・・・それよりも、身体が心配だわ)

ふと、親忠は気づいた。
自らの持つ手札は、別に一度に切らなくてもいい。少しずつ少しずつ出す事も可能なのではないか。
その準備だけはしておこうと、そのまま広間を出て自らの部屋に籠り、親忠は筆を取った。



親忠の予想は当たってしまった。
親和が病を得たというのだ。どのような病か、岡豊からの文には書いてはいない。文を持ってきた者に訊ねてみても、よくわからないと首を捻るばかりなのだ。
そんな次兄に対して、父は養静しろとの文を出すに留まっているらしい。
違う。きっと、次兄は父から別な何かを欲しているに違いない。
こうして考えている間にも、次兄の体は病に蝕まれているのだ。一刻も時を争えない。
親忠は誰にも言う事なく城を出、馬を駆り急ぎ岡豊へと奔った。

「これは、孫次郎様。お久しぶりにございます」

岡豊のひっそりとした一角に、親和の邸はある。
影はあるが湿ってはいない雰囲気が次兄に似ているが、親忠はここを訪れたのは初めてに等しい。香川が改易になった直後に次兄に連れられて少しだけやってきた程度だ。
今出迎えてくれた者も讃岐より来た者で、初めて会った時に“やっと土佐の暮らしに慣れてきました”と柔和に話してくれた。
そんな者に、親忠はまくし立てるように言う。

「和ちゃ・・・・・・兄上にお目通りしたいのです、どうか御取次を!」
「香五様は今や床から離れられる状態ではありませぬ、どうかお引き取りを・・・・・・」
「っ、どうしても、どうしてもお話したいのです!兄と話ができる機会はこれが最後になるかもしれません!兄弟の今生の別れを、どうか、どうか・・・・・・!」
「・・・通してください」

困惑していた家来の背後の襖が僅かに開き、薄く笑みを浮かべた白い顔がこちらを見ていた。
生きている。
泣きそうになった親忠は、思わずその場で深々と頭を垂れた。



通された部屋は小さかった。
とはいえ暮らしには問題はなさそうで、家来の数や知行に見合った暮らしのようだ。それよりもやせ細った次兄の姿が痛々しくて見ていられなかった。
そして、病人のいる部屋の中にあるであろう布団がどこにもない。病を装っているでもなさそうで、次兄の意地を感じながら親忠はそっと畳の上に正座をした。

「和ちゃん・・・・・・どんな、病を?」
「さぁ?それより、親忠。髪を切ったのですね。似合ってます」
「願賭けだよ。私はそんな事を話に来たんじゃないよ・・・・・・」

着物の合わせから見える胸元は肋が浮き出ている。頬はこけ落ち、腕も皮と骨と筋との間を、やっと血管が蠢いている具合だ。
それでも親和は笑って、小さく咳き込みながら親忠の前に座った。

「家督の事だけどさ、和ちゃんは怒ってるの?だから病になったの?」
「・・・・・・」
「パパが豊臣の命を受けないから?盛ちゃんが家督を継ぐから?ねえ、どれなの?」
「・・・・・・」

親和は親忠の問いのどれにも答えなかった。
ただそっと笑っているだけ。事の全てを笑って見ているかのようで、苛立った親忠は拳を床に叩きつけた。

「答えてよっ!いつも和ちゃんは自分の本音を話さない!いつも見てるだけ、でも、やることはしっかりやってる・・・・・・和ちゃんが死んでも誰も喜ばないよっ!」
「だからですよ」
「え・・・・・・?」
「僕は小さい頃から体が弱い。僕の心の思い通りに体が動いてくれないんです。だから僕はいつも見ているだけ。やれと言われた事はしますが・・・僕が死んで、喜ぶ人もいませんが、悲しむ人もいない」

そこで、親和は親忠に顔を近づけ声を顰めた。
瞳だけは紫色の炎を宿したまま輝いている。

「思い通りにならないのは時代そのものも、です。ならばいっその事、思い通りにならない体に全てを委ねるのみ。親忠、僕はね、土佐より讃岐の守護代を担った人物が生まれた事、秀吉が僕に家督相続の権利を授けたこと即ち、僕の名が上方で挙げられた。この二つがあればもう十分なんです。僕がここで家督を相続してしまっても、僕は体が弱いからいつ果てるとも知れない。僕が家督を相続して果てた後が問題です。それこそ豊臣に土佐を奪われ兼ねない。だから盛親で妥当だと思っています。豊臣の命は受けない。盛親で家督相続も納得している。僕は誰の事も怒ってなどいません。適当に食を絶てば、すぐにでもこの体は滅びる。自ら望んだ事だから、誰も僕を気にしなくていい。ただ・・・自刃はしません。血は流しませんよ、長宗我部と土佐の血は僕の誇り、一滴たりとて無駄には流しません。」

ああ。
親忠は涙を流していた。
この人は、まさに命懸けで全てを守ろうとしているのだ。誰にも何も言わず、父の言葉にも反発し、食も薬も絶ち、細い体一身に厄を受け止めて自分もろとも屠ろうとしている。
そこまで時の流れを理解しているのに、理解する才も持っているのに、どうして!
たまらず親忠は親和を抱きしめた。

「嫌だ・・・・・・嫌だよ・・・・・・っ和ちゃんが居なくなっちゃうなんて、嫌だ・・・・・・信ちゃんがいなくなって和ちゃんまで・・・・・・本当は、本当は・・・・・・和ちゃんにも継ぐ器量があるのに!」
「そんな事は無い。それに、もう土佐を守る方法がないんですよ」
「和ちゃんは・・・・・・せめて盛ちゃんの補佐でいるべきだよっ、私なんか、和ちゃんの代わりはできないよっ」
「何も、代わりであることはないですよ。土佐は一丸となって盛親を支えてゆけばいいのですから。」
「じゃあ、せめて・・・・・・」

親忠は、懐に忍ばせていた一冊の書を親和の枕元に置いた。

「これは・・・・・・?」
「上方から取り寄せた医学書だよ。和ちゃんの・・・役に立てたらと思って」

しかし、親和は親忠の意とは反し、書を手にすると顔を顰めた。

「・・・・・・親忠、気を付けてください」
「え?」
「下手に事を動かさないほうがいい。・・・・・・長宗我部を継ぐ気は?」
「・・・・・・ないよ。私より、和ちゃんのほうが・・・・・・「僕は外して下さい。盛親と自分を比べてどうですか」
「・・・・・・盛ちゃんのほうが、いいかもしれない」
「ならば、今は上方とは下手に連絡を取るべきではない。親忠が優しい事は皆が知っています。でも、それが命取りになるということも、覚えておきなさい」
「・・・・・・。」
「僕からの、遺言です」
「そんなこと、言わないでよっ・・・・・・!」

親忠は再び次兄にしがみ付いて泣いた。
その上では、弟より渡された医学書を音も無く家の者に渡し、目で“焼いて証拠を隠せ”と告げた親和がいた。








「雲海」や「遺言」と違うのは、親和が全ての身代わりとなっているところです。
親和も親忠も、”巻き込まれた”というのが凄く合っていて何とも切ないですね・・・